中国やモンゴルの乾燥地帯で舞い上がった砂埃が、偏西風に乗って日本に飛来する「黄砂」。国内での飛散ピークは5月いっぱい続き、激しいアレルギーに苦しむ人が少なくありません。この黄砂を、NHKなどのマスコミはあたかも「自然現象」のように伝えていますが、実際には「中国政府による人災」に他ならないと指摘するのは心理学者の富田隆・元駒沢女子大教授。彼の国に抗議ひとつできない日本政府の弱腰ぶりを批判しています。(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです
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なぜ日本のマスコミは「有毒黄砂」を「自然現象」のように報じるのか?
「黄砂」の季節になりました。
ただでさえ苦しい花粉の季節に黄砂まで加わると、アレルギー症状はさらに酷くなり、喘息のような咳まで加わり、本当に腹立たしい限りです。
空を見上げても、青空のはずが黄色っぽく霞んでいます。春霞などという風流なものではなく、その実態は「毒砂塵」です。
今時の黄砂は、昔のような「天然もの」ではありません。あえて言うなら「有毒黄砂」です。
黄砂は中央アジアで発生し、偏西風に乗って東へと飛行する途中で中国の工業地帯を通過してきます。工場の煤煙やら排気ガスやらの公害による有害物質をたっぷり吸着してから日本にやってくるのです。
要するに、毒をまぶした砂埃なのです。
ですから、迂闊に吸い込むとえらいことになります。花粉症ではない人もマスクを付けた方が安全です。
ただの砂埃ではない証拠に、北九州など黄砂の被害が酷い地域では、黄砂が水を含むと粘性が高くなり、自動車などにベットリとくっついて、簡単には取れなくなるのです。
天然由来ではない、様々な化学物質が黄砂に浸み込んでいるからです。
こうした被害を毎年繰り返しているのに、日本の政府は中共に対して一言の文句も言いません。
NHKも被害の実態すら報道しようとせず、あたかもただの自然現象であるかのように印象操作をしています。
しかし、これは明らかに「人災」なのです。(次ページに続く)
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「有毒黄砂」をまき散らす中国に抗議できない日本の情けなさ
第一に、森林伐採や乱開発により中国奥地の砂漠化が進行していること、そして、第二に、利益優先の工業化による環境破壊、この二つが「有毒黄砂」被害の主要原因です。
そして、そのいずれもが中共政府の無策無能ぶりと恐怖政治による言論弾圧、そして倫理感の欠如がもたらしたものです。
こうした危険な事態に対して、日本政府が「抗議」はおろか、「遺憾」の意の表明すらしないのは、自民党やら公明党、立憲民主党といった守旧政党が中共べったりというよりも中共の「手先」に成り果てたからです。
私のような個人が、いくら腹を立てたところで、団塊の世代を中心とした人口ボリュームゾーンの年寄りは圧倒的に守旧政党の岩盤支持層なので、なかなか状況は好転しません。
それでも、40代以下の若い人たちは流石に目覚めつつあるので、国民民主党や参政党、保守党、れいわ新撰組などの新興政党へと支持を替えつつありますから、遠からず状況は好転するでしょう。
さらに、これは地球規模の深刻な環境破壊ですから、いつまでも世界の世論が放っておくはずもありません。反中共政策に舵を切った米国を中心に、国際的な圧力がかかり始めるのは時間の問題です。
とは言うものの、全ての変化は時間を要します。
たとえ、中共政府が瓦解し、新生中国の政府が積極的な環境対策に転じ、世界がそれをバックアップするようになっても、「結果」がついてくるのは遥かな未来です。(次ページに続く)
環境問題は超長期戦。有毒黄砂とどう付き合えばいいのか?
ですから、当分は、この季節になる度に、「有毒黄砂」を避けるためのイタチごっこが続くのだろうと覚悟を決めています。
とても、私が生きている間に結果が見えてくるとは思いません。環境問題は長期戦なのです。
そんな状況で、私の魂は「妄想」の世界へと逃避するのです。
マスク越しに埃っぽい空気の匂を嗅ぎ、黄色く霞んだ夕焼けを眺めながら、私の想像の翼は遥かな砂漠へと飛んで行きます。
実際の黄砂は「ゴビ砂漠」や「タクラマカン砂漠」あたりからやって来るのですが、私の「妄想」の翼は、さらに西まで旅を続けます。
そこは中東、『アラビアンナイト』の世界、ラクダの隊商が行く『月の砂漠』に舞い上がった砂塵が長い旅路を飛行して極東の島国にたどり着くという壮大な物語です。
ベランダにうっすら積もった「有毒黄砂」も、私の「妄想」の中では、王子様やお姫様の乗ったラクダが舞い上げる黄金の砂へと変わるのです。
そして、セピア色の夕暮れ時に口ずさむ歌は、昭和の爺さんにふさわしく『アラビアの唄』です。喜太郎さんの『シルクロード』でも、久保田早紀さんの『異邦人』でもありません。
戦前のモダンでお洒落なジャズの時代、二村定一(ふたむら ていいち 1900-1948)さんや藤山一郎(1911-1993)さんが歌った、あの懐かしい『アラビアの唄』(作詞作曲F.Fisher 訳詞 堀内敬三 1928)です。
砂漠に陽が落ちて 夜となる頃
恋人よなつかしい 唄をうたおうよ
あの淋しい調べに 今日も涙流そう
恋人よアラビアの 唄をうたおうよ
雑音だらけのSP盤レコードが奏でる「あの淋しい調べ」は私の涙腺を緩め、流す涙は、目に染み付いた黄砂の粒を洗い流してくれるに違いありません。
おバカな「妄想」に、今回もお付き合いいただき、本当に有り難うございます。私が筆を折らずに書き続けていられるのは、あなた様のおかげです――
(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』3月28日配信号「有毒黄砂」より一部抜粋、再構成。富田隆氏のメルマガ最新号はご登録のうえお楽しみください。初月無料です)
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