5月28日にロシアのラブロフ外相が「6月2日のウクライナとの直接交渉」を提案したものの、依然として武力攻撃の手を緩めることがないプーチン政権。終わりの見えない状況が続くウクライナ戦争ですが、その大きな要因はどこにあるのでしょうか。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では元国連紛争調停官の島田さんが、背後に「プーチン大統領の政治的ゴール」と「トランプ政権の優柔不断」の2つがあるとして、各々について詳しく解説。さらに何が世界の紛争解決の道を閉ざしているのかについて考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:留まることを知らない野望と危険な遊び─デリケートな安定が守ってきた平和の終焉?!
エスカレートするプーチンの野望と世界の分断。とどまることを知らない危険な遊び
「一般市民の安寧と当たり前に保証されている安全と権利が、政治的な意図によって踏みにじられている」
これは3年以上続き解決の糸口が見えてこないロシア・ウクライナ戦争にも、イスラエルによる自国の安全保障確保のための戦いと暴走にも、インドとパキスタンの間で長年続くカシミール地方を巡る領有権争いにも、そしてミャンマー、スーダン、中央アフリカ、コンゴ民主共和国などで続く内戦(もしくは地域戦争)を見ても、共通する特徴です。
これらの紛争で戦時下にいる一般市民にとって、報道や政治リーダーたちが掲げるような主義主張、プライドなどは恐らく大事ではなく、当たり前に安心して暮らせる毎日の確保が最優先なはずですが、複雑に渦巻く政治的な意図によって、その毎日は奪われ続けています。
(中略)
5月16日に3年ぶりにロシアとウクライナが、トルコ政府の仲介で、直接協議の場に臨みましたが、そこで私たちが見せつけられたのが、ロシアの停戦に対するモチベーションの低さと、ウクライナおよび欧米諸国の窮地に付け込んだ、超高めの条件提示による協議の破壊でした。
トランプ政権がロシアとウクライナの戦争の停戦にむけた仲介を行う際に提示した“超ロシア寄り“と散々非難された条件をさらに上回る一方的な交渉姿勢は、かつて旧ソ連時代の交渉戦術そのまま(すさまじく難しい条件を一方的に突きつけて、あとは黙り込み、協議には応じず、相手が自ら譲歩しだすのをいつまでも待ち続ける戦術)で、その内容はウクライナ東南部4州(ドネツク、ルハンスク、ヘルソン、ザポロージェ)の完全掌握とクリミアのロシア編入の国際法での保障、ウクライナの非武装化とNATO加盟交渉の永久凍結、反ナチス法を制定し、ゼレンスキー大統領の退陣を求めるという一方的な条件の押し付けになっています。
またそれに先立ってウクライナと欧米諸国が呼びかけていた5月12日からの30日間の完全停戦の求めは完全に無視し、バチカン市国のレオ14世の呼びかけによってバチカンで行う協議も拒絶し(ラブロフ外相が「ロシアは国教会の国であり、カトリックの総本山で協議を行うことはない」と発言)、直接協議が物別れに終わると、一気にウクライナに対する攻勢を強め、侵攻以来最大級の攻撃をウクライナ全土に対して実施し(弾道ミサイル70発ほどと、900基にわたる無人ドローンによる同時攻撃など)、さらなる破壊を重ねています。
その背後にあるのが、決して消えることがないプーチン大統領の政治的なゴールであり、政治的な意図ですが、それはウクライナの属国化を通じて、まずベラルーシと合わせて旧ソ連のコアを再構築し、その後は、ロシアを真っ先に裏切ったバルト三国を陥れようとしているように思われます。
この記事の著者・島田久仁彦さんのメルマガ
プーチンを必要とするトランプ政権の優柔不断
戦況そのものは現時点ではロシア優位であることは、いろいろな観点から見ても確実で、ロシア国内も戦時経済が好調で、かつ国民の生活レベルも保たれているか改善しているという認識が定着し、かつ徴兵ではなく、プロの傭兵とprisonersを数十万人単位で投入しているという状況も、戦争を国民生活から遠ざけていますが、予定よりも長期化していることで、その正当化には何かしら目立った成果が必要なだけでなく、停戦すると、数十万人単位のprisonersの扱いをどうするのかという策がなく、それが戦後の社会的な不安の拡大に一気に発展しかねず、“停戦できない”という事情もあります。
そして決定的な要因が“ロシアを必要とするトランプ政権の優柔不断”です。
ロシア・ウクライナ戦争の仲介がうまくいかない理由として、トランプ政権・トランプ大統領が進めるイランとの核協議、中東諸国への口利き、そして中国や北朝鮮へのプレッシャーなど、プーチン大統領の協力を必要とする事態が数多くあり、今、ロシアを敵に回すことで、すでに行き詰まり感抜群のトランプ外交が崩壊する恐れが高まるため、基本的にはロシア・ウクライナ戦争に対しては、ロシアにフリーハンドを与えているように見えます。
ゆえに欧州各国とウクライナがロシアに対する制裁の強化を訴えても、トランプ大統領は「ロシアへの制裁が功を奏するとは思えないし、良案だとは考えない」と突き放し、かつ「そろそろ仲介から降りて、2国間の直接的な協議・交渉に解決を委ねないといけない」と一気に距離を取る発言に変わってきていて、よりロシアにとってはおいしい状況が生まれてきているように思われます。
嫌な表現になるかと思いますが、プーチン大統領は完全にトランプ大統領を手なずけ、かつ手玉にとって、自身の宿願成就のために利用しようとしているようにも見えます。
そのようなトランプ大統領の変心に焦っているのが欧州ですが、ついには「アメリカによる核の傘にはもう頼れず、フランス(と英国)の核の傘は欧州全域を防衛するのに足りるか?」という検討がなされ、独自の対ロ安全保障政策と戦略が、口先だけはなく実施に移そうとされていますし、ショルツ前首相の政権でNOを突き付けてきたドイツのタウルス巡航ミサイル(500キロメートル射程)を、メルツ首相がウクライナに供与し、かつロシア領内への攻撃に使用することを容認する旨、発言するに至っています。
一見すると欧州が一枚岩になり、ロシアの脅威に対峙する姿が描かれそうですが、そのタウルスもドイツ国内に600基ほどしかなく、ドイツの国民感情としてはドイツの国家安全保障・防衛のために用いられるべきであり、それをウクライナに渡すことに対して、政治的な支持は得られないと思われますし(この背景には、変わらないゼレンスキー大統領の“くれくれ”姿勢があり、また「~すべき」と頭ごなしに上から物言う姿勢、つまり欧米の代わりにロシアの脅威と戦っているという認識が、ドイツ国民に受け入れづらくなっている)、このタウルスにはアメリカ製の部品が多々使われていることから、トランプ政権のOKなしには勝手にNATO外の国に供与できないルールの存在が、その実現を阻むことが予想されます。
そのような中、欧州各国が出来ることと言えば、実情的には対ウクライナの直接支援よりは、ウクライナ後にロシアが刃を剥いてくると思われるバルト三国の防衛に貢献することと思われ、その一連の動きとして、戦後はじめてドイツ軍が国外(バルト三国のリトアニア)に駐留・常駐するという大きな転換が行われる見込みです。
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ミック・ジャガーの元パートナーの悲痛な訴え
ここまでの一連の状況を見てみて分かるのは、今、世界は緊張の鎮静化に向かうのではなく、緊張が同時進行的に各地域で高まり、どこかの緊張がはじければ、すべてに飛び火するという状況が生まれていることです。
先述の多国間調停イニシアティブ(これまでの調停グループの活動を強化したもの)がすでに稼働し、調停・仲介はもちろん、予防調停・交渉も行っていますが、正直なところ、まだ解を見いだせずにいます。
この遅々として進まない状況が何を生み出しているかと言えば、残念ながら私たちが忌み嫌うジェノサイド(大量無差別殺戮)の進行であり、“当たり前の毎日”を望む一般市民の悲劇の拡大です。
今週、多国間調停イニシアティブに参加してくれたMs. Bianca Jaggerさん(長年の友人であり、ミック・ジャガー氏の元妻)が、アウシュビッツの強制収容所の様子の写真(1945年)と、2025年のガザの実情を映した写真を並べて、世界の惨状を嘆いた話を紹介して、今週号のコラムを閉じたいと思います。
皆さん、ジェノサイドの定義はご存じでしょうか?
これらの写真を並べてみた時、1945年までにユダヤ人を迫害し、多くの悲劇を生み出したナチスドイツのユダヤ人排斥運動の最たる例であるポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所の悲劇の様子と、ガザ地域という逃げ場のない非常に狭い土地に閉じ込められ(屋根のない監獄と呼ばれる)、イスラエルからの全方向からの攻撃と、パレスチナ人を飢えさせて絶望の中で抹殺しようとしている、ユダヤ人国家イスラエルが行っていることは、何一つ変わらず、どちらもジェノサイドであり、民族浄化の愚かで恐ろしい狂気に満ちた人の行いです。
ある民族、あるグループを根絶やしにし、物理的・精神的に追い込み、人間が考えうるあらゆる残酷な非人道的手段を用いて、イスラエルは今、パレスチナ人をこの地球上から抹殺しようとしています。
私たちがかつてのナチスドイツのユダヤ人に対する蛮行を挙って非難するように、今、国際社会は同じユダヤ人によって行われる民族浄化、ジェノサイドに対して非難を浴びせ、一刻も早くイスラエルにその蛮行を止めさせなくてはならないのですが、残念なことに、世界のリーダーたちは口先だけの非難に留まり、イスラエルの蛮行を食い止めるための策を何ら講じようとしていないのが現状です。
ジェノサイドを実行するイスラエルはもちろん人道に対する罪で裁かれなくてはなりませんが、この悲劇を見て見ぬふりをして何ら策を講じない世界の政治リーダーたちも、人道に対する罪を問われなくてはなりません。
Biancaと初めて出会ったのは、私が紛争調停官としてまだ駆け出しのころで、彼女はボスニア・ヘルツェゴビナにおけるジェノサイドの現状を目撃したのに続き、コソボでのセルビア人とアルバニア人の血で血を洗うような極限の蛮行を世界に訴えかけた頃でした。
それからいろいろな紛争案件の調停で協力してくれ、抜群の発信力と影響力を駆使し、時には多額の資金も惜しみなく提供して、戦後復興のためのプロセス、特にメンタルケアと社会復帰のプロセスを支援してくれました。
今回、久々に直接いろいろと話す機会を与えられ、意見交換と具体的な策を挙げあい、何とか早期の解決を実現できないかと動いているのですが、現実に蔓延するLack of Willingnessが根本的な解決を阻んでいるのが現状です。
この記事の著者・島田久仁彦さんのメルマガ
戦争の根本的な解決と変革の道を閉ざしている要因
戦争はだめなことは誰しも知っていることですが、同時に戦争は、無垢の生命の犠牲と引き換えに、誰かに大きな経済的・政治的な利益を与えてしまうこともまた事実です。
政治学者の中には「どうしようもないほど、政治が腐敗し、国内、または地域の安定が脅かされ、解決策が見いだせない時には、戦争を起こすことですべてをリセットして作り直すことができる」と何のためらいもなく主張する人が多いのですが、紛争調停を生業にし、かつ戦争によって心身ともに深く傷を負ったり、生命を奪われたりする人々を直に見てきた人間としては、決して与することが出来ない暴論だと考えています。
ただこのような考えが、実は現行世界における政治的なリーダーシップのなかに蔓延し、政治的な利益の実現のために、人々の生命が犠牲にされている現状を生み出し、その根本的な解決と変革の道を閉ざしているように、私は思います。
何だかいろいろとありすぎて、まとまりのないものになってしまったかもしれません。
以上、今週の国際情勢の裏側のコラムでした。
(メルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』2025年5月30日号より一部抜粋。全文をお読みになりたい方は初月無料のお試し購読をご登録下さい)
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