高市早苗の戦略にしてやられた“首相候補”。玉木雄一郎の人気が一気に急落した「決断力のなさ」だけではない理由

 

高市首相が逆手に取った国民民主党の「ためらい」

それでも高市首相は、石破政権ができなかったことでも自分ならやれるというイメージを演説の基調とした。野党の政策を全面的に受け入れるかのような姿勢は、とりわけ国民民主党には痛手となった。

国民民主の看板政策「年収103万円の壁」は、財源がないとして反対する財務省の言いなりになった自民党が渋っていたからこそ、評判を高める方向に働いた。党勢の拡大期にある国民民主が、高市政権からの連立ラブコールに応じるのをためらったのは、そうしたポジションを捨てたくないからでもあった。

高市首相はそれを逆手にとった。自民税調の“ラスボス”といわれた宮沢洋一会長を交代させ、財務省をねじ伏せてでも人々の生活を救う姿勢を示した。一見、国民民主の味方のような素振りではあるが、国民民主の看板政策と“同一化”することによって、その存在を打ち消してしまったともいえる。政権入りに二の足を踏む相手に対し、「そっちがやらないのならこっちがやる」と政策のパクリを正当化した面もあるだろう。

高市首相は国民民主や参政党に流れた自民党支持者を取り戻す使命を帯びている。そのための政策“一体化”戦略が、昨今の政党支持率を見る限り、成功しているようだ。

ご祝儀相場もあるとはいえ、予想を超える高市人気は、自民党内に「早期衆院解散」への期待感を広げている。支持率が高いままなら解散総選挙を打って、単独過半数を狙いたいだろう。少数与党でなくなれば、連立相手の維新にも強気に対処できる。だがそのために、大枚の税金を使ってたびたび選挙をやられては、国民はたまったもんじゃない。

それにやっぱり、教育勅語を信奉する高市氏の思想信条は大いに気になるところだ。安倍元首相が教育基本法を改正し「父母は子の教育に第一義的責任を有する」としたことについて、GHQによって破壊された教育勅語の精神を復活させる第一歩として評価するという趣旨の記述が高市氏の著作物などに散見される。

教育勅語は、天皇を中心とした国家への絶対忠誠を国民に求める文書だ。「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」などの文言は、戦時動員の精神的根拠とされた。首相になった今、現行憲法と相容れない教育勅語について高市氏はどう考えるのだろうか。

国家運営はバランスが肝心である。力と力が均衡しているからこそ世界は破滅を免れている。富める国、強い国、世界のリーダーとなる国にしたい。政治を志す者なら誰しもそう思うだろう。

高市氏が恩知らずの中国を警戒し、親日国である台湾との友好を重視する気持ちはよくわかる。スパイの暗躍を防止し、防衛力を強化し、経済安保に力を入れるその政策も理解できる。

ただ、軍部が天皇の統帥権を振りかざして暴走し、国粋主義に国全体が浮かれ、政治が無力化した過去の日本の歴史を振り返ると、民主主義の健全性というものは決して失ってはならないと思う。

高市氏は「穏健保守」を自称するが、戦後の歴史認識を「自虐史観」と批判し、周辺国への強硬論を唱えてきたのは事実だ。強いリーダーを求める世論は、しばしば“異論を許さない空気”を生み出す。それは民主主義にとって危険な兆候である。強さを信じるあまり、寛容さを失えば、「強い日本」は「狭い日本」へと変わってしまう。

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