10月に公明党との連立が解消されるやいなや、日本維新の会と手を組んだ自民党。それでも衆院で過半数を維持できない同党が取った手は、あろうことか維新の会を離党した議員を会派入りさせるという力技でした。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、この一連の動きを詳しく解説するとともに、「黒幕」の正体と思惑を推測。さらに今後、高市政権がどのような行動に打って出るかについて考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:維新離党の3人を自民会派入りさせた“黒幕”は誰か
またもチラつく麻生太郎の影。維新離党の3人を自民会派入りさせた「黒幕」の思惑
自民党との連立や副首都構想に反対して日本維新の会を離党した3人の衆院議員が衆院の自民党会派に合流した。これで、与党は衆院で過半数の233人に達し、少数与党の状況から脱出できることにはなったが、この員数合わせ、いささか無節操に過ぎるのではないか。
もちろん、衆院で与党が過半数を得た意味は大きい。なにしろ、憲法で定められた「衆院の優越」というのがある。予算案は衆院さえ通れば、30日たつと「自然成立」する。高市政権にとって、喜ばしいことに違いない。
しかしこの3人が、自民党の連立パートナー・日本維新の会にとっては“裏切者”であることに変わりはない。議員辞職を維新が強く求めている面々だ。それを、あろうことか自民党が“三顧の礼”を尽くして招き入れたのである。維新との関係がぎくしゃくするのは承知のうえでのことだろう。
そこに自民党副総裁、麻生太郎氏の影が見え隠れするのだが、まずは、3人が維新を離党し、自民会派にたどり着くまでの経過を振り返ってみたい。
守島正、阿部弘樹、斉木武志の三氏。そもそもなぜ維新を離れたのか。それぞれに思いはあるのだろうが、夏の参院選後に辞意を表明した前原誠司共同代表の後任を決める選挙が引き金になったことは間違いない。
この選挙には藤田文武氏、松沢成文氏、そしてのちに離党する斉木氏の3人が立候補した。8月8日、国会議員による投票が行われ、藤田氏が57人中49票を集めて当選した。斉木氏は7票、松沢氏は1票だった。
藤田氏の勝利は、馬場伸幸元代表のもとで幹事長をつとめ、「馬場派」とみられた藤田氏が、吉村代表の影響下にある国会議員も含めた圧倒的多数の支持を得たことを物語る。吉村・藤田体制が確立し、斉木氏ら反主流派につけ入るスキがないことを思い知らせた瞬間だった。
斉木氏ら3人が離党したのは1か月後の9月8日。自民党総裁選が前倒しで実施されることが決まった日だ。この時点で有力視されていた自民党総裁候補は小泉進次郎氏であり、維新は“進次郎政権”での連立入りに意欲を見せていた。
斉木氏は10月14日、自身のYouTube番組で離党の理由について詳しく説明している。
「地元大阪への利益誘導をはかろうという維新の姿勢があまりにも強くなってきたのが最大の理由です。それがよく出ているのが大阪副首都構想です」
斉木氏が語る副首都構想の主な中身はこうだ。消費税、所得税などの国税を大阪だけ安くする。首都機能を代替するのに必要なインフラ整備をする。国会や中央省庁の機能の一部を移転する…等々。
だがこの内容、「他の46都道府県が全て反対に回るし、およそ実現は難しい」(斉木氏)。なのになぜ高い目標を設定するかといえば、「大阪都構想」のためだという。維新は大阪都構想をめぐる住民投票で過去に2度、敗れている。新しい都構想を打ち出して3度目の住民投票に持ち込もうと思えば、「バラ色のアメ」を掲げる必要があると指摘する。
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麻生太郎の差し向けた船に飛び乗った3人が期待したもの
もちろん、この動画を公開したのは、まだ自民と維新が連立するかどうか全く見通せない時期だった。高市氏が自民党総裁になったものの、国会の首相指名選挙で総理の座につけるかどうかはわからず、多数派工作を進めようとしていた段階だ。
公明党が連立を離脱し、それまで自公の有力な連立相手と見られていた国民民主党が及び腰となるなか、維新の存在がクローズアップされてきたが、まだ自民党の方針は固まっていなかった。
斉木氏は、連立するかどうかはともかく、維新が副首都構想の推進と引き換えに高市首相誕生に協力するのではないかと危惧していた。つまり、“大阪ファースト”の政策には反対の意見を表明していたし、自民と維新の連携にも、副首都構想がからむとみて否定的だった。
斉木氏ら3人は離党後、「改革の会」を結成。10月6日には衆院の院内会派「有志の会」(4人)と共同で「有志・改革の会」を旗揚げした。「有志の会」は斉木氏がかつて所属していた旧民主党系の無所属議員で構成されている。一緒に国会活動をするには都合がよかった。少数与党の国会で、この7人がキャスティングボートを握れると意気込んでいた。
ところが、「有志・改革の会」はわずか2週間後の10月20日に解散してしまう。きっかけは、麻生太郎氏が会いたいと言ってきたことだ。もちろん、首相指名選挙で高市総裁の名を書いてほしいという協力要請だった。
これまで野党的な姿勢をとってきた「有志の会」のメンバーと協調するなら断るのが自然だろう。だが、斉木氏ら3人は麻生氏の差し向けた船に飛び乗った。「混乱なく政権を運営するには高市氏がより現実的な選択肢だ」というのがその理屈だ。むろん、「有志の会」側との調整は難航し、結局はもとの「有志の会」と「改革の会」に分かれてしまった。
3人は首相指名選挙で高市氏に票を投じた。この時点で実質的に与党の仲間だ。ここからは邪推だが、親分肌の麻生氏の意に沿うことで、何かを期待したという見方もできるだろう。
斉木氏は昨年の衆院選で、維新から福井2区に立候補したが敗北し、比例復活で3期目の当選を果たした。阿部氏も福岡4区で3位に沈みながらも比例復活した。この二人に、次期衆院選を無所属のままで勝ち抜ける自信があるとは思えない。自民党から声がかかったチャンスを逃したくないという気持ちが動いたはずだ。
もう一人のメンバー、守島氏についてはやや事情が異なる。守島氏は吉村氏とともに維新の改革路線を担い、党常任役員をつとめていたエース級の存在だ。大阪2区選出であり、維新にいる限り選挙に不安はない。自民党寄りの馬場伸幸前代表に批判的だっただけに、“馬場派”とみられる藤田氏が共同代表に就いたことに納得できなかったのかもしれない。
ともあれ、維新とこの3人の間に残る“遺恨”にかまわず、自民党が会派入りを働きかけた背後には、政権の陰の支配者である麻生氏の意向があったとみるのが自然だ。3人は次期衆院選のためにも新たに頼る組織が欲しい。自民は衆院で過半数となるよう数合わせをしたい。もともと双方の利害は一致する。その他の問題は、大物の“一声”で吹き飛ばしたというところではないか。
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もともとたいした信念などなかった維新離党3人組
維新の吉村洋文代表は3人の自民会派入りについて強い口調でこう語っていた。
「除名した場合は、議員辞職するという誓約書を3名とも公認のときに出している。本来なら、議員辞職をして議席を維新に返すのが筋だ」
だがその後の12月1日、自民党幹部と会談した後のぶら下がり会見では「(鈴木)幹事長からもっと丁寧に話をすればよかったとの話があった。それ以上、私からコメントすることはありません」と慎重な姿勢に転じた。
隣に立つ鈴木幹事長らに気を遣っているのがありありと感じ取れたが、本心は穏やかでなかっただろう。「党の名誉を傷つける行為にあたる」として除名した者たちが、連立政権の枠内に入ってきたのである。
斉木氏らは、副首都構想や自民党との連携を嫌って離党を決断したはずだ。その考えを貫くなら、自維連立の一角に入り込むことなどできるはずがない。もともとたいした信念などなかったと考えるほかないだろう。
いま、高市政権の高い支持率をあてこんで来年1月の通常国会冒頭にも衆院を解散するのではないかという説が永田町を飛び交っている。一気に自民党単独過半数を達成するのが狙いだ。そうなったら、全ての前提が変わる。
維新を離反した3人の自民会派入りは、自民が維新を軽んじているのではないかという疑いを抱かせる。維新も、斉木氏ら3人も、自民が当面の国会を乗り切るための手駒として使われるだけとさえ思えてくる。維新は“使い捨て”の憂き目にあわないよう、今から心しておかねばならないのではないか。
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