【産経新聞】撤回では済まない曾野綾子氏の差別発言

冷泉彰彦© danielskyphoto - Fotolia.com
 

「差別発言」を生むメカニズムを考える

『冷泉彰彦のプリンストン通信』第51号より一部抜粋

曾野綾子氏がサンケイ新聞のコラムで、「人種隔離施策」を肯定していたとして問題になっています。実際に問題となったコラムの全文を確認してみましたが、現代の国際社会の常識に照らしたら全く認められない内容としか言いようがありません。

曾野氏は「南アフリカ共和国の実情」として「以前には白人だけが住んでいた集合住宅」が「人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった」結果、「大家族主義」の黒人が「一族を呼び寄せ」で「1区画に20人から30人が住みだした」というエピソードを紹介しています。

そのマンションは十分な水量が確保できなくなる中で、「白人は逃げ出し」てしまい、黒人だけが住むマンションになってしまったというのです。曾野氏は、そこから「人種によって居住は別にすべきだ」という結論を導いています。

そもそもどうして、サンケイ新聞のデスクがこんな原稿を通したのかが疑問ですが、このコラムに関しては「撤回」では済まないと思います。曾野氏との間で十分に議論をした上で、曾野氏には自分の意見が誤っていたことを納得してもらい、その上で同じコラムで「自身の真意と反省」を述べることが求められます。

そうは言っても、往年の学生運動のように、曾野氏に「自己批判」を強要しようとは思いません。強要した結果「自己批判」をさせるというのは、単なる権力による言論の弾圧であり、本当に「自己から出た」批判ではないからです。そうした「強制の茶番劇」では問題は解決しません。

一方で、もしかすると、曾野氏は沈黙してしまうかもしれませんが、その場合は以降はメディアの世界からは静かに退場することになると思います。それでは、この才気あふれた作家の「晩節」としては何とも寂しいことになりますし、また誠実に議論に参加して正直な葛藤と自身の反省を「茶番」ではない形で示してもらわなくては、ドラマとして完結しないと思います。

その「議論」の論点ですが、一つ強く感じるのは曾野氏の主旨の中に「日本人には異民族との共生などという高度なことを期待するのは酷だ」という諦め、あるいは「弱さへの肯定」があるということです。その裏返しとして「移民を受け入れた場合に、共生のできない人間は劣等だという左派的な視線にある差別性」への「義侠心的な反発」も感じられます。

曾野氏の場合は、この辺に関して相当な「確信犯」的な部分があり、そのために決して無視できない影響力を持っているわけですが、この機会にこの問題についてキチンと考えておく必要があると思うのです。

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