【産経新聞】撤回では済まない曾野綾子氏の差別発言

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「いつか来た道」の危険性よりも大きい国論の分裂

第二の問題は、「異文化との共存に自信のある」ような「強者」が「自信のない」ような「弱者」を侮蔑して良いのかという問題です。この点に関しては、過去に曾野氏がずいぶん色々な批判をしており、的外れなことも多いのですが、いわゆるリベラルの側にも反省点はあると思います。

例えばナショナリズムの論争がそうです。日本の場合は、右派には「自国が危険に晒されるのは自分の恐怖である」という感覚があるわけですが、左派の場合は「そのように自己を国家に投影してナショナリズムに走る人間は劣等である」という侮蔑の感覚を持っているわけです。

常識的に考えると「自分が正しくて相手は間違っている」というイデオロギー対立に関しては「お互い様」であるはずです。ですが、どう考えても「右派が左派を反日だとか自虐だとして非難する場合の態度」と比較して「左派が右派を劣等だと侮蔑する場合の態度」のほうが激しいように思います。

そう申し上げると「いつか来た道だからどんなに批判しても批判し過ぎることはない」というような答えが返ってきますし、例えば今回の曾野氏の発言のような場合には、それこそ「言語能力の全力を挙げて叩く」ということになるわけです。

私はその結果として国論が分裂することの弊害は、「いつか来た道」の危険性よりも大きいし、もしかしたらこのような分裂こそ「いつか来た道」ではないかと考え始めている者です。その点において、曾野氏を肯定する気持ちはゼロですが、曾野氏のように誤った考えの人が、誤った義侠心から乱暴な言動に至るプロセスに「追い詰めてしまう側」にも修正すべき点はあるのではないかと思うのです。

三点目は、この問題は、要するに異なるものが共存するというのは、具体的なノウハウの問題だということです。政策であり、コミュニケーションの技術であり、制度であるわけで、そうした問題に関して、例えば移民を前提としたアメリカやEUにはノウハウがあり、本格的な意味で受け入れをしていない日本は未経験であるわけです。

問題はそのような実務的な話であり、共生の初期段階で反発から「隔離」の声が出た場合に、そのコミュニティとして、どんな和解をするかということも、先行する社会には膨大なノウハウがあるわけです。

曾野氏の発言の最大の問題は、そのような実務的な問題に関して感情論、印象論を持ち込んで対立を煽ったことにあると言えます。いずれにしても、取り消しだけで済むと考えたら大間違いでしょう。

 

『冷泉彰彦のプリンストン通信』第51号より一部抜粋

著者/冷泉彰彦(作家)
東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは毎月第1~第4火曜日配信。
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