なぜ教師になろうと思ったのか。初心を忘れた大人が子どもを殺す

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矜持(きょうじ)とは、自分の能力に自信を持つこと、常に誇りを保ち続けることを意味します。今回の無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』では、いじめに向き合うべき市教委・校長・教師に求められる矜持を説くと同時に、矜持を保てない教師は法制化で排除すべしとする自説を展開しています。

教師には人格者であることが求められる

世間では、組織の体面を守るために、真実を覆い隠そうとする事件が相次いでいますね。いじめ問題でも、神戸で市教委と学校長によるいじめ隠蔽が明らかになるという事件が起きています。

2016年に神戸の中3女子生徒が自殺した事件で、「いじめられていた」という他の生徒からの聞き取りした調査メモを、市教委の首席指導主事が学校側に指示して隠蔽していたと、市教委が3日に公表しました。当時、校長は「メモは存在しない」と説明し、第三者委員会や裁判所に対しても提出していませんでした。

市教委は関係者の処分を検討し、新たな調査委を立ち上げる意向を表明しています。

今回、明らかになったのはそれだけではありません。実は、2017年の8月には新しい校長からメモが存在することが市教委に連絡されていたのです。その現校長が今年の3月に再度、報告して、市教委は4月に遺族に謝罪したというのです。またその後の報道によると、学年団教員の9人、および校長、教頭、スクールカウンセラー、派遣されていた市教委の指導主事を含めた席上で、メモのコピーが配布され、聞き取った教員から説明があったことが判りました。

それだけではありません。8月の現校長の報告を受けて前教育長も把握していたのに何らの指示もしていなかったのです。他にも課長、部長も把握していたと報道されていますが、この姿勢にはあきれるしかありません。まさに学校、教育委員会をあげて組織ぐるみの隠蔽という図式が浮かんできます。今の校長が繰り返し訴えなければ、この事実は闇に葬られていたことと考えられます。

組織を守るという考え方も、場合によっては大切な考え方になることもあります。しかし、そのために隠蔽を正当化することがあって良いはずがありませんし、隠蔽は、組織を守るどころか、組織そのものを破壊する行為となります。「モラルなど守らなくてよい」、「犯罪を犯してもかまわない」、「手段も選ばない」というのでは本末転倒、世の中そのものがおかしくなってしまいます。社会の一員として、個人においても組織においても、「社会に貢献する」という考え方を失ってしまったら、存在する意味などなくなると思うのです。

ましてや「教師」という職業には、一般の会社員よりも一層、強く高潔さ人格品格が求められるものなのです。子供たちを教え導くという崇高な仕事に付随するものだと言えるのではないでしょうか。先生は子供たちに「うそをつくな。正直になりなさい」と指導します。その教師が「うそをつく」、「事実を隠す」、これはだめでしょう。

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