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高度成長の終焉を予見した下村治博士の慧眼~田中角栄、軽薄短小、平成バブルをめぐって

投資歴54年の山崎和邦氏が思い出の投機家とその時代を振り返る本連載。今回は田中角栄元首相が逮捕されたロッキード事件、重工長大から軽薄短小経済への転換、平成バブルの勃興とその崩壊など、1970~90年代の日本経済を概観します。

米国とロスチャイルドの尾を踏んだ?田中角栄の油乞い外交

前回「1960~70年代マーケットの重大事件を振り返る――IOSショック、ニクソンショック、オイルショック」において、オイルショックこそは、日本経済の高度成長時代から低成長時代への曲がり角をつくった事件であり、大きな歴史的意味があったと書いた。

今回は「元総理大臣の逮捕」という未曽有の状況に至り、そこから経済の「模範的転換」を果たして、あの平成バブルへと突き進んでいった我が国の経済を振り返ってみよう。

1973(昭和48)年の第1次オイルショック時、田中内閣は中東へ三木武夫日本政府特使を送るなどして、日本に原油を売ってくれと辞を低くして外交した。

日本の高度成長を支えてきたのは海外からの潤沢なエネルギー供給だったから、これはやむを得ない選択だった。

しかし前年に日中国交正常化があった。ここに来ての日本の親アラブ化は米国にとって許容できない事態だった。

田中内閣の外交は、結果として「油乞い外交」と揶揄され、中東戦争の相手側のイスラエルを怒らせ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのとおり、ユダヤの血を引くロスチャイルドまで怒らせてしまった。

このことが、ロッキード社の僅か5億円の使途不明金から田中角栄を追い落とす元を作ったと筆者は勘ぐっている。

1976(昭和51)年、どうしても田中角栄氏を有罪にしたい日本の検察は、米国の司法取引を米国裁判で使ってロッキード副社長の贈賄の証言を得た。これは日本の法廷では証拠にならないにせよ判事の心証には大いに影響した筈だ。

自主外交路線により失脚、逮捕された田中角栄氏のあと、我が国でこのような首相が再び現れることはなかった。ともかくオイルショックは、先鞭をつけた株価暴落に次いで政界・財界・検察まで巻き込んだ日本現代史の大頁であった。

Next: 「全治2年の傷」を癒す、重工長大から軽薄短小への模範的転換


山崎和邦(やまざきかずくに)

1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院特任教授、同大学名誉教授。

大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴54年、前半は野村證券で投資家の資金を運用、後半は自己資金で金融資産を構築、晩年は現役投資家で且つ「研究者」として大学院で実用経済学を講義。

趣味は狩猟(長野県下伊那郡で1シーズンに鹿、猪を3~5頭)、ゴルフ(オフィシャルHDCP12を30年堅持したが今は18)、居合(古流4段、全日本剣道連盟3段)。一番の趣味は何と言っても金融市場で金融資産を増やすこと。

著書に「投機学入門ー不滅の相場常勝哲学」(講談社文庫)、「投資詐欺」(同)、「株で4倍儲ける本」(中経出版)、近著3刷重版「常識力で勝つ 超正統派株式投資法」(角川学芸出版)等。

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「全治2年の傷」を癒す、重工長大から軽薄短小への模範的転換

重厚長大の製造業を得意としてきた日本は、オイルショックを契機に「省エネ」を標榜して「軽薄短小」経済に素早く切り替えることになる。

1975(昭和50)年当時、田中内閣の後を引き継いだ三木内閣で副総理・経企庁長官を務めた福田赳夫氏は「全治2年の傷を負った」と言った。

おそらく福田氏には「全治2年」の根拠はどこにもなかったに違いない。が、こういう非常時の指導者には、断固「言い切る」ことによって国民全体をその気にさせる能力が求められよう。

かの「哲人投機家」 木佐森吉太郎氏も、クラウゼヴィッツの『戦争論』を引用し「将軍は濃霧の中でも断固として方向を指さすべきものだ」と言っている。それである、と当時の筆者は感銘を受けたものである。

結果的に日本経済は2年で立ち直った。1975年に戦後初めて土地価格が下がったが、翌年から回復した。

株価も1975年秋を大底として9年後には10倍以上になった。当時の野村総研等は、製品の1立方メートルあたりの重量を測定して、重工長大と軽薄短小を論じたものであった。

オイルショック後の日本は、先進国中で最も早く軽薄短小に切り替え、世界の模範となることに成功した。もはや重厚長大の時代は過ぎ去り、重量の少ない製品を作る企業こそ新時代の企業であった。情報、通信、デザイン産業や、薬品等の企業群が花形として脚光を浴びることになったのである。

Next: 『ジャパン・アズ・ナンバーワン』から、屁理屈が跋扈する平成バブルへ


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『ジャパン・アズ・ナンバーワン』から、屁理屈が跋扈する平成バブルへ

1979(昭和54年)のエズラ・ヴォーゲル著『ジャパン・アズ・ナンバーワン(Japan as Number One: Lessons for America)』は世界中で読まれた。

エズラ・ヴォーゲルは、日本がいち早く重厚長大から軽薄短小に切り替え、「省エネ経済」へと転換したことを称賛し、その成功は、終身雇用や共同体的団結など「日本的経営」の賜物であると言うのであった。

今日現在は、それらがマイナス要因の巣窟とされる世相だから隔世の感がある。だが、企業風土の好き嫌いは別として、時価総額でも売上額でも利益額でも断然の日本一であるトヨタは、日本的経営と称されたものをフンダンに温存し、いまも重視している。

例えば、「改革は企業のトップから進めるものだが、カイゼンは工場現場の平社員らの着眼から発する」として、TQC(トータル・クォリティ・コントロール)を大いに活用し、トヨタが世界一になった淵源は「カイゼン」にこそある、と社員を洗脳する。

これなどは、機能組織(ゲゼルシャフト)であるはずの企業体に、運命共同体(ゲマインシャフト)の要素を大いに取り入れた経営であり、俗に言う「日本的経営」の典型である。

『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の数年後、「平成バブル」が発する頃には、日本人は日本的経営の強みを過大評価し、大いに図に乗っていた。例えばPER(株価÷一株あたり利益)だ。

平成バブル当時、PERが世界標準の数倍以上になっても、「企業が互いに株式を持ち合う日本市場では、実際に市場に流通する株数は総発行済株式数の数分の一だから、現在のPERは合理的である」と屁理屈を言った。そして野村証券を筆頭に、自分たち自身もそれを信じた。

その結果、1990(平成2)年大発会に端を発する「1920(大正9)年以来、70年ぶりの大暴落」を見ることとなった。

これの直接的な引き金を引いたのは、実は監督官庁の大蔵省証券局である。ほとぼりが冷めてから、元野村証券会長の田淵節也氏は、日経新聞『私の履歴書』で「大蔵のやり方にはハラワタが煮えくりかえる」と述懐しているが、この件については別稿としたい。

Next: 下村治氏が予見した高度成長の終焉。「ゼロ成長」は「安定成長」?


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下村治氏が予見した高度成長の終焉――「ゼロ成長」は「安定成長」?

1960年代の高度成長時代、池田勇人内閣で所得倍増論のブレーンを務めた下村治氏は「オイルショックをもって高度成長は完全に終わった。これからはゼロ成長または低成長だ」と大予言し、それは大的中した。

下村博士の偉大性は、それまで高度成長の立役者だったにも関わらず180度方針転換し、ゼロ成長時代の到来を正確に的中させた点にある。また、当時から「今後は米国の一極支配になるだろう」と今日を予見し、アメリカ批判の中で生涯を閉じたことも慧眼であった。

超長期でモノが見える人というのが本当にいるんだなあと、後年、筆者は感銘を受けた。ちなみに、アメリカだと、超長期でモノが見える人は、キッシンジャー氏だと考えている。

オイルショックは内閣を解散させ、元首相を逮捕させ、高度成長を終焉させた。そして我が国において、下村博士が予言した「ゼロ成長または低成長」は「安定成長」に言い換えられることとなったのである。

山崎和邦(やまざきかずくに)

1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院特任教授、同大学名誉教授。

大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴54年、前半は野村證券で投資家の資金を運用、後半は自己資金で金融資産を構築、晩年は現役投資家で且つ「研究者」として大学院で実用経済学を講義。

趣味は狩猟(長野県下伊那郡で1シーズンに鹿、猪を3~5頭)、ゴルフ(オフィシャルHDCP12を30年堅持したが今は18)、居合(古流4段、全日本剣道連盟3段)。一番の趣味は何と言っても金融市場で金融資産を増やすこと。

著書に「投機学入門ー不滅の相場常勝哲学」(講談社文庫)、「投資詐欺」(同)、「株で4倍儲ける本」(中経出版)、近著3刷重版「常識力で勝つ 超正統派株式投資法」(角川学芸出版)等。

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