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大蔵省証券局と三重野日銀の大罪 平成バブル崩壊の真相(前編) – 山崎和邦 わが追憶の投機家たち

投資歴54年の山崎和邦氏による本連載。今回は「平成バブルの絶頂と崩壊」をテーマに、当時の世相や、金融当局・企業・投資家・メディアそれぞれが犯した過ちを振り返ります(前編)。
ユーフォリアの中の醒めた目、株価暴落を見通した人たち 平成バブル崩壊の真相(後編)はこちら

「札幌で5万円のラーメンを啜る」サラリーマンが陶酔した平成バブル

平成に入ってから27年間の三大経済事件は「平成バブル崩壊」とその後の「失われた20年」及び「日本を取り戻す」を標榜して出た安部政権の経済政策であろう。

80年代後半からのバブルは、昭和61(1986)年の“逆オイルショック”による大幅な原油安――資産価格は上がり続けたがインフレ率は上がらなかった――が最初の契機となっている。そこから日銀はなかなか金利を上げることができず、株価・地価のバブルが助長されるという経路を辿った。

バブルの陶酔状態では、世の中に平常時には想像もつかない「空気」が充満するものだ。その例を挙げよう。

当時は「株式投資の利益の1割を消費に使う」狂気の沙汰が流行った。その頃は1千万や2千万円は誰でも(一時的には)儲かったから、巷のサラリーマンたちが、その1割つまり100万や200万円を使って街に繰り出しては遊び惚けるのである。

誰かが「札幌のラーメンが旨い」と言えば、わざわざ飛行機に乗って札幌へラーメンを食いに行く。羽田に群をなし、飛行機代含めて5万円のラーメンを啜る、というバカ騒ぎは日常茶飯事だった。

海外旅行では、平社員まで航空費用に何十万円も追加してファーストクラスに乗り、当時ボトル1本数十万円したロマネコンティやナポレオーネといった銘柄のワインをこぞって注文した。あるいは絵画に興味のない者が2~3千万円の絵を海外から買ってきて、近日中に数倍で売れると信じていた。

当時、私は夏場の使用のために蓼科高原の「三井の森」というゴルフ倶楽部の会員権を125万円で買って毎年使っていたが、それを6~7千万円で売ってくれとかいう仲介業者からの電話が毎日のように来たものである。

私は結果的に、妻名義の会員権を6,450万円で売却した。売買気配でなく実際の約定価格ではそれが最高だったらしい。125万円なら使用目的で保有しても十分見合うが、なぜ6,450万円で買わなければならないのか。死ぬまで毎日通っても割に合うわけがない。

当時の「三井の森」は関東オープンの舞台で名門とされていたが、ステータスシンボルと言っても、ゴルフ倶楽部の会員証をスーツに貼って歩くわけでもあるまい。これぞまさにバブルであった。

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山崎和邦(やまざきかずくに)

1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院特任教授、同大学名誉教授。

大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴54年、前半は野村證券で投資家の資金を運用、後半は自己資金で金融資産を構築、晩年は現役投資家で且つ「研究者」として大学院で実用経済学を講義。

趣味は狩猟(長野県下伊那郡で1シーズンに鹿、猪を3~5頭)、ゴルフ(オフィシャルHDCP12を30年堅持したが今は18)、居合(古流4段、全日本剣道連盟3段)。一番の趣味は何と言っても金融市場で金融資産を増やすこと。

著書に「投機学入門ー不滅の相場常勝哲学」(講談社文庫)、「投資詐欺」(同)、「株で4倍儲ける本」(中経出版)、近著3刷重版「常識力で勝つ 超正統派株式投資法」(角川学芸出版)等。

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日本企業の判断力も低下「きょう決めなければ先を越される」

過剰流動性相場の前、エズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を著し、日本中が大いに図に乗っていた。やがて「日本はアメリカ全土を4回買える」とまで慢心し豪語する者が出てきて、それを皆が本気にした。

比較的クレバーな体質の三井不動産がパリ凱旋門そばのビルを買収して、それが文化遺産であり貸しビルとして改装できないことに後から気づく、というバカを演じた。地道な大家さんである三菱地所はもっとバカを演じ、NYのビルを想像できない高値で買って後年に大損して損切りすることになった。

当時、私が総務担当の常務取締役を務めた三井ホームも、クレバーな体質を持つ冷静な企業だが、ロスアンゼルスのオフィスビルを買って家賃収入を図ろうという提案が元パリ在住の部長から提出され、常務会で可決しそうになったことがある。

本日中に決めないと、この旨い話は他社に持って行かれてしまう」と言う。その時、日本風のやり方で「私はアメリカの不動産業者のことは分からないが、日本の場合は『今日中に決めろ、現地を見ている暇はない。見ないで直ちに決めろ』なんて話は99%怪しい」と“水を差した”のは私だった。

その私の言葉に、岡村専務という人が「アメリカの不動産屋だって同じさ」と独り言のように言った。そこで会議の雰囲気は急変した。「もっとよく調べてから決める。他社に取られたら止むを得ない」ということになった。後日、私は調査チームを作って調べさせ、結果的にこの物件は「やめ」になった。後で考えるとゾッとする物件だった。

半世紀くらい前に一世を風靡したイザヤ・ベンダサンこと山本七平の名著に『日本人とユダヤ人』(角川書店)がある。そこに「日本人は重大事を会議の空気で決める」という意のことが書かれていて、また別著書にも『空気の研究』というのがあった。私はまさしくそれを思い出していた。

当時の株価は、誰が見ても長続きする価格帯ではなかった。その頃のPERは60倍、今の4倍近い。世界中で一番高かった。ROE(自己資本収益率)に至ってはマイナスであった。世界中で一番低かった。これを異常レベルと言わずして何が異常だろう。

1920年代にアメリカで土地と株価の大バブルがあった。フロリダの海岸が、ヨーロッパからの保養地としてホテル群になるというので暴騰した。契機はリンドバーグが大西洋を無着陸で横断してパリへ着いたことで、この大西洋横断飛行がフロリダ高級保養地ブームに火を付けた。

満潮時には水面下に没するから「土地」ですらなく「海」である。海は国家の管理だから売買不能である。そんなことは常識のはずだが、高値で「海面」が売買された。誰が考えても異常であることが異常でなくなる。バブルとはそういうものである。

Next: 大暴落の契機となった大蔵省証券局の無責任~平成バブル崩壊


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大暴落の契機となった大蔵省証券局の無責任~平成バブル崩壊

平成バブルはいずれ収縮すべきものだった。だがそのバブルを必要以上に大破裂させ、日本経済を再起不能に陥れたのは、当時の大蔵省証券局と日銀総裁の三重野康である

まずは大蔵省証券局だ。史上最高値の翌日(1990年大発会)から始まった「大正9年以来70年ぶりの大暴落」の契機は、あまり知られていないが大蔵省証券局の“行政指導”なる強制である。

当時、通称「営業特金口座」という口座があった。大法人を主な対象とする、プライベートな売買一任勘定である。これの最大扱い者が野村証券で、その口座を早急に閉鎖せよという“お達し”であった。

早急に口座を閉鎖するためには、早急に全建玉を投げねばならない。大暴落を引き起こすのは明らかだ。

と言うと、大蔵省は、暗黙裡に損失を野村自身が補填してでも遂行すべしと命じた。当時(今も、かもしれないが)、オカミの“行政指導”は絶対命令だった。それが大暴落を引き起こしたのである。

そこで大証券は皆が皆、大企業の営業特金口座に対して莫大な損失補填を行った。これらを監督官庁は見て見ぬふりをして過ごし、自分たちの任期満了まで“臭いものには蓋”をする算段だっただろう。

ところが、平成3年の野村証券の株主総会で、株主からの執拗な質問に対する、時の田淵義久社長の答弁が大蔵省の逆鱗に触れた。

当時、前任社長の田淵節也氏を「大タブ」、後任の田淵義久氏を「小タブ」と呼び、社内外で標準語化していた。両人とも岡山出身だが親戚同士ではない。前者は京都大学、後者は早稲田出身。

その小タブが、株主総会の場で、「損失補填は逐一、大蔵省と相談して進めたことだからご了解願います」と原稿から目を話して答えたのだった。

私も上場会社の株主総会で何度も役員として答えたが、決して原稿から目を離してはならないと教えられたものである。だが小タブは原稿を見ずに答えた。私はアッと思った。この“爆弾発言”があった総会の後、小タブは辞任した。これが真相である。

一般的には「法人の損失補填の責任をとって辞任した」ということになっているが、そんなことは当時、すべての証券会社がやっていたことだ。

後日ホトボリが冷めてから、このときの忸怩たる思いを、大タブこと田淵節也氏は「大蔵省の事件処理のやり方には僕も腸が煮えくり返る思いだったが、火に油を注ぐわけにはいかなかった」と述懐している(日経新聞『私の履歴書』平成19年11月)。それによれば、1991年8月の国会証人喚問が決まった時、元首相の経済通・宮沢喜一さんは「『(議員が)大勢いるが大根か白菜と思ってください』と励ましてくれた」「作家の山崎豊子さんは『大蔵省が悪いと言いなさい』と言ってきた」という。

Next: 失われた20年を生み出した三重野日銀の大罪~平成バブル崩壊


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失われた20年を生み出した三重野日銀の大罪~平成バブル崩壊

平成バブル崩壊は、昭和40年不況(山一・大井証券が非常手段の日銀特融で救済された)をはるかに超える規模のものだった。日経平均株価は1989(平成元)年大納会終値の38,915円87銭から、1992(平成4)年春の2万円割れまで崩落していく。

1990(平成2)年の正月明けから始まった3ヶ月で25%の暴落と、その夏からの第2次の40%暴落、これほどの下げ相場は一生のうちに何度もない。

この大暴落の最中に(1990年8月)、日銀総裁の三重野康は第5次公定歩合の引き上げという暴挙に出た。

株式バブルは十分に冷え切り、不動産バブルも総量規制を経て商業土地価格が何分の一にもなるような後退局面で、それでも三重野日銀は引き締めの手を緩めなかった。

その十数年後のリーマンショックでは、世界中の中央銀行が大量且つ迅速に資金を供給したが、それ以上の事態でも三重野は逆に締めあげて経済を破壊した。この夏、大手銀行の株価は一斉に大暴落を始めた。

これすべてが「20年デフレへの警鐘」だった。三重野康は無教養なマスメディアにおだてられ、「バブル退治の月光仮面」「平成の鬼平」と言われて図に乗り、「自分こそ通貨の番人だ」とテレビで自慢し、そうして「失われた20年」を生みだした。

三重野は、経済の衰退が大国衰退の淵源になるという、古代ローマ、中世スペイン帝国、中国王朝、近世の大英帝国等の例に倣い、日本国を衰退に導いた。

大分県出身で日銀生えぬきの総裁にロクな奴はいない、というジンクスがある。「嵐に向かって窓を開けた」と言われた昭和恐慌の井上準之助、加虐趣味としか言えない無理を強いた一万田尚登がそれである。三重野康が日銀総裁に就任した時、我々はそのジンクスを思い出し「まさか三度目もそうだった」とならないだろうな、と半身で構えたものであるが、そのまさかは現実のものとなった。

死者を鞭打つなかれ等と見識ありげなことは言いっこなしにしよう。生きても死んでも、日銀総裁として大失敗を犯した者は永久に「歴史」という法廷の被告席に座らせられるのだ。三重野の罪、万死に値する。天、ヒト、共に許さざる大悪行であった。

そうして、バブルが異常だったのと同じくらい、バブル崩壊過程の世相もまた異常だった。次のような見解がまかり通った。

曰く、「株が暴落するのはいい気味だ」「俺は株もゴルフ会員権も持ってない。もっと下がれ下がれ」「三重野さんは欲ボケした連中に鉄槌を食わした正義の味方だ」等々。株と地価の暴落は、世間に拍手喝采をもって迎えられたのである。

その世相に便乗する気か、単なる本気か、名ある学者や評論家がヘンテコな“理論”をテレビ、新聞、経済誌で打つのが流行った。彼らも商売だから、分かっていて便乗してカネにするなら良しとするが、どうも本気だったらしい。

彼らのその後の言動を見ていても、いまだに正気に服してないから当時は本気であったと推測できる。実は本心は嫉妬から生じていたのだ。嫉妬が正義の仮面をつけて主張される、この種の「嫉妬から出た一見正義」が最も始末が悪い。

一見正義だから反対する世論が弱い。そして一見正義の道を辿って行くうちに、皆で地獄へ行ってしまうのだ。

※『ユーフォリアの中の醒めた目、株価暴落を見通した人たち 平成バブル崩壊の真相(後編)』に続く

山崎和邦(やまざきかずくに)

1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院特任教授、同大学名誉教授。

大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴54年、前半は野村證券で投資家の資金を運用、後半は自己資金で金融資産を構築、晩年は現役投資家で且つ「研究者」として大学院で実用経済学を講義。

趣味は狩猟(長野県下伊那郡で1シーズンに鹿、猪を3~5頭)、ゴルフ(オフィシャルHDCP12を30年堅持したが今は18)、居合(古流4段、全日本剣道連盟3段)。一番の趣味は何と言っても金融市場で金融資産を増やすこと。

著書に「投機学入門ー不滅の相場常勝哲学」(講談社文庫)、「投資詐欺」(同)、「株で4倍儲ける本」(中経出版)、近著3刷重版「常識力で勝つ 超正統派株式投資法」(角川学芸出版)等。

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