一度、かすかに消え行く意識で思わず叫んだことがあった。松尾芭蕉じゃないが、長らく旅をしていると「客死」とか「野垂れ死に(のたれじに)」という言葉が甘美な香りを放つようになるものだが、このときは、
「ああなんてこった。これは野垂れ死にじゃない。野グソ垂れ死にじゃー!」
そして辛さと並ぶもうひとつの問題、食事中の視線。
どうも田舎住まいのインド人にはヒマ人が多すぎる。入店とともに客も店員もまん丸まなこでいっせいにこっちを見る。
「なんだ見かけないヤツ。それも笹っ葉で切ったような細い目。ネパーリか?」
彼らの顔には一様にそんな疑問符が浮かんでいる。ちなみに「ネパーリ」はネパール人のこと。多くはインドの北隣の母国からの出稼ぎ労働者で、インドでは一格下に見られている。
そしてインド人は子どもも大人も好奇心旺盛だし、だれかをジロジロ注視することが失礼な行為だとおもっていない。だから僕の右手一本でのヘタクソなカレーの食べっぷりをジーッと眺め、おもむろにテーブルの前へやってきて、「ネパーリ?」と尋ねる。
「ネヒン、ジャパニ(いや、日本人)」
と正直に答えてしまうと大変だ。
リアルな日本人は初めて見るという田舎のインド人がほとんどで、客やら店員やら近所のヒマ人やらがわんさか集まってきて僕のテーブルを取り囲む。衆人環視の中でカレーを頬張ることになるのだが、そんな状況下でにこやかに、あるいは不思議なものでも見るような視線で僕を眺め、そのうち決まってカタコトの英語や筆談で質問攻めにしてくる。
「どうして日本は原爆を落とされて半世紀しか経たないのに、経済大国になれたんだ?」
「雪は降るか?」
「総理大臣の名前は?」
「ソニー、トヨタ、ホンダ、スズキ、パナソニック、トーシバ、ヒタチ。みんなすごい会社じゃないか。どうしてそんなに有名な会社になれたんだ?」
「本当に生魚をかじるのか?」
「故郷はどこ?」
「パキスタンとインドとどっちが好きだ?」
「日本にはヒンズー教徒とイスラム教徒のどっちが多く住んでいる?」
「お酒は飲める?」
「家族は何人いるんだ?」
「インドから日本まで飛行機で何時間かかる? 往復いくら?」
「日本で働きたいから住所を教えてくれないか?」
「アメリカに原爆を落とされたのに、なんで日本はアメリカと仲良しなんだ?」
などなど、ほとんど小学校低学年レベルの剥き出し好奇心でオールラウンドの質問を次から次に浴びせかけてくる。