「こんにちは」と「お母さん」は同じ語源だった。意外な日本語のルーツ

 

なぜ相手のことを「太陽さん」と呼んだかについては、もう少し説明が必要だろう。

西暦280年前後に書かれたと言われる中国の『三国志』の「魏志東夷伝」の中に、古代日本にやってきた魏の使いによる日本見聞記が載っている。そこには「人々は物ごしがやわらかで、人をみると手を搏(う)って拝んであいさつをした」とある。我々が初日の出に向かって柏手を打つのと同じである。

これを日本画家で『「日本の神話」伝承館』館長をされていた出雲井晶氏は、こう説明している。

すべての人は神のいのちの分けいのちであるから、命(いのち)とかいて命(みこと)と呼びあった。男は日子(ひこ)=彦であり、女は日女(ひめ)=姫であった。つまり、太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)のむすこであり、むすめであるとみたのである。[a,3,p124]

すべての人は太陽神である天照大御神引き継いでいる。だから、相手に対して、我々が初日の出にするように柏手を打ち、「太陽さん」と呼びかけたのである。

「太陽さんと一緒にあかるく生きていますか」

今日は」の後に「お元気ですか」と続けるのが、昔の挨拶だった。境野氏はこう続ける。

「元気ですか」の元気とは、元の気という意味ですから、太陽の気をさすことになります。つまり、「今日は、元気ですか」とは、あなたは太陽のエネルギーが原因で生きている身体だということをよく知って、太陽さんと一緒にあかるく生きていますか、という確認の挨拶だったのです。

それを受けて、「はい、元気です」と答えます。つまり、「はい、太陽さんと一緒に元気に生きていますよ」と応答するわけです。[2,p123]

さようなら」も同様の文脈で続く。

それから、「さようなら(ば)、ご機嫌よう」となります。「機嫌」とは、「気分」とか、「気持ち」という意味です。したがって、「さようなら、ごきげんよう」の意味は、「大陽さんと一緒に生活しているならば、ご気分がよろしいでしょう」となります。

「今日は、お元気ですか」「はい、おかげ様で元気です」「さようなら、ご機嫌よう」

これが、わたくしたちの挨拶の基本だったのですね。[2,p123]

「今日は」も「さようなら」も、現代の我々は意味も分からず使っているが、もともとは互い太陽分け命とする荘厳な人間観に基づく挨拶であったのである。

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