「あのさわやかな輝き出ずる大陽の光を以て」
その「日本」の国旗が「日の丸」である。日の丸が最初に文献に登場するのは、これまた701年と1300年以上も前の事である。日の丸が国旗となった経緯は[c]に記したが、ここでは境野氏の本にある逸話を紹介しておこう。
幕末に日本船の船印を決める際、幕府の役人は源氏の旗印である中黒(白地に黒の横一文字)を押したが、薩摩藩主・島津斉彬は日の丸を提案した。斉彬は鹿児島湾の桜島に上がる朝日を見て、こう言ったそうだ。
あのさわやかな輝き出ずる大陽の光を以て、鎖国の夢を覚まさなければならぬ。日本の将来は古代から日本人がいのちの恩として愛してきたかがやく太陽のようでなければならぬ・・・[2,p61]
そして水戸藩主・徳川斉昭が「長い間日本人が用いてきた日の丸こそ日本を代表するに相応しい」として、日の丸を「日本総船印」とするよう決断したのである。
「そしたら、『私の子だから』といってくれました」
境野氏の本は、高校生に講演した内容である。自分たちが日頃何気なく使っている「今日は」や「お母さん」の語源が太陽に因んでいる事を知って、高校生たちは2時間も真剣に聞き入っていたという。
この本の後半には講演を聴いた高校生たちの感想文がいくつも収められているが、その一つに次のような感想がある。
私は前まで、生まれなきゃよかったっていつも思っていました。・・・友達関係でもめたり、テストの点が悪かった時、親を苦しめていた。
そんな自分が嫌いだった。生きている自分さえ嫌でピークに達した時、泣いて親の所へ向かった。「こんな子どもでごめんね。頭悪くてごめんね。わがままでごめんね」
そしたらお母さんが、「そんなことはない。大丈夫だよ」
思わず、「なんでそんなにやさしいの」
そしたら、「私の子だから」といってくれました。お母さん、お父さんは、いつでも私のことを考えてくれていた。私が悩んでいるときは、自分のことのように悩んでくれていた。
そう思っていた私は、さっきの(境野)勝悟先生の講演を聞いて、いま深く感じた。「生きていることに対して感謝しよう」「一日一日を生きている時間を大切にしよう」そして、いまの高校生活をenjoyしようと思った。
そして、なによりも親を大切にしていきたい。(1年、鹿野雪恵)[2,p160]
まさに太陽のようなお母さんである。
「お母さん」の語源が太陽であることを知ったら、こんな太陽のような母親も増えるだろう。子供たちも太陽のようにお母さんに感謝するだろう。
そんな家庭が増えれば、国全体が太陽に照らされたように明るく、温かくなる。それこそ「日本」である。
文責:伊勢雅臣
image by: Shutterstock
『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』
著者/伊勢雅臣
購読者数4万3千人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。
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