国王からも爵位。日本人「ニシオカ」はなぜブータンで国葬されたのか?

 

ダショー・ニシオカ

国王は開発の様子を二度にわたって視察し、作業に励むスタッフや村人たちを励まし、学校の庭で宴会を催してねぎらった。

5年の歳月をかけたシェムガンの総合開発は、1980(昭和55)年に一段落した。こうしてパンバン村を中心に開かれた水田は60ヘクタール、畑は16ヘクタールに達した。毎年3万トンの米がとれ、野菜や果物も収穫できるようになった。

村の代表たちが西岡に礼を言いにやってきた。

「3万人もこえるみんなが、たんぼや畑のある土地におちついて住むことができて、まるで夢のようです。学校もできてありがたいことです。」

「村はすっかり生まれ変わりました。ニシオカさんが、はじめに言ってくれていたとおりになった…。」

老人たちはそう言って涙を浮かべ、西岡の手を固く握りしめた。

同年9月、西岡は国王からダショーの称号を授けられた。「最高の人」という意味で、ブータンでもっとも名誉ある称号である。「ニシオカの16年にわたるブータン農業への功労に感謝して、ここにダショーの称号を授与す」と言って、国王は、肩からかけるえんじの布と銀の鞘の剣を授けた。

両国民を結びつけるもの

1992(平成4)年3月21日、西岡は敗血症にかかり逝去した享年59。パロ農場は教え子たちで十分やっていけるようになっていたので、そろそろ日本に戻って、別の形でブータンのためになる事を考えたい、と思っていた矢先だった。

2011(平成23)年、第5代ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が国賓として来日し、国会で演説した。その中に次のような一部があった。

ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。

国王にそう言わせたのは、自らの祖父と父と2代に渡ってブータンに尽くした西岡の一生が脳裏にあったのかも知れない。

文責:伊勢雅臣

image by: Flickr

 

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座
著者/伊勢雅臣
購読者数4万3千人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。
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