MAG2 NEWS MENU

【書評】横綱になると親方から「おめでとう」とは言われない理由

もうすぐで1月場所。日本の国技である相撲は、ここ最近「スー女」と呼ばれる若い女性ファンも急増中です。角界の頂点に立つのは言わずと知れた横綱ですが、その「辛さ」を語った1冊の本があります。無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長・柴田忠男さんが、作家・武田葉月氏渾身の「インタビュー集」を詳しく紹介しています。

横綱』武田葉月・著 講談社

武田葉月『横綱』を読んだ。45代若乃花(初代)に始まり70代日馬富士まで20人をインタビュー。本人がしゃべっている、という体裁になっている。みんなが一様に言っていたことは「横綱という存在は、なった者でなければわからない」だ。全員が「綱の重み」と戦い続けた。読んでいると、その重さがわかるような気がする。横綱になると、親方から言われるのは「おめでとうではない。「もうあとは引退だけだよ。ダメなら、すぐ辞めなきゃいけないいんだよ」「引き際をきれいにしよう」「辞める時はスパッと行こうな」。横綱になった途端にこれだから、じっさい喜んでいる場合ではない。

20人の中で異色なのは、24歳という若さで角界を離れた60代・双羽黒北尾光司)である。よくインタビューに応じてくれたと思う。87年11月場所は13勝2敗と健闘した双羽黒だったが、かねてより師匠とは意見が合わず対立しており、場所後の話し合いも決裂。しかし両者とも廃業の選択は毛頭なかったのに、当時のおかみさんがマスコミ各社に電話したことで、事態は最悪の展開、破門・廃業となる。角界から身を引いて約30年、暴露的な昔話を期待していたのだが、意外に淡々と素直に語っているかのようにみえる。筆者の脳内変換なのか、いまひとつ抽象的、文芸的な感じがして、かなり居心地が悪い。

身長199センチで体重がマックスで160キロという恵まれた体格で、昭和59年、20歳で新十両、その一年後には小結。毎場所のように三賞を受賞した。パソコンが趣味だったこともあり「新人類」などと、珍しい人種のような言われ方をされていた。目標とする力士は誰かと聞かれると、必ず北の湖関と答えていた。普通なら自分が所属する部屋(立浪部屋)の先輩力士を挙げるものだが、彼はよその部屋の横綱の名前を出すので、それが理由でずいぶん苛められたそうだ。61年1月場所で新大関に昇進、9月場所で横綱に昇進。横綱昇進を機に「双羽黒に改名させられたのは不本意で、彼はそれまでの「北尾」でいきたかった。

「双羽黒」という四股名は、立浪部屋の大先輩双葉山、羽黒山の四股名の合成であり、わたしも当時チョットナーと感じた。「横綱昇進後、つねに私は二人の偉大な先輩のようにならなければいけないと、部屋の親方衆から24時間言われ続けてきた。とてもつらいことです」はわかる。しかし、「自分なりのオリジナリティを否定されてしまったんです。それは人間としてのオリジナリティにも通じるものがあります」「わたし自身の心の未熟さだったと思っています」なんて格好いいこと、いまだから言える。当時の心境をストレートに語っていると筆者はいうが疑問符。「横綱はつらいよ」がよくわかる本である。

編集長 柴田忠男

image by: Shutterstock

 

クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】
デジタルメディアで活躍する現役クリエイターたちのコラムで構成されている本格派。総発行部数約16000! 真のクリエイターを目指している方からデジタルに関わる方まで、すべてに向けて発行中!
<<登録はこちら>>

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け