今も職人さんや農業・漁業などに従事する人たちに脈々と受け継がれる「技」。それらは学校の授業で習得できるようなものでは到底なく、師匠や先輩の仕草を真似たり、自ら経験と失敗を重ねながら身につけていくものです。今回の無料メルマガ『安曇野(あづみの)通信』では、学歴や資格ばかりが重視される現代の日本で、一部の職業以外では軽視されがちといっても過言ではない「技」の大切さについて、著者のUNCLE TELLさんが実際に耳にした話をもとに考察しています。
知識と技、経験の踏襲
例えば私が少年時代の一時期を過ごした田舎、信州松本は入山辺。何十年前と同じように田圃やぶとう畑・リンゴ畑が広がっている。代替わりし、もちろん作り手は違うだろうが、稲作や果樹栽培の技術と経験は次ぎ次と世代間に踏襲され、今年もりっぱに稲穂を実らし、また果樹も育ち出荷されるだろう。
以前それもだいぶ前だか、ふぐ調理師の方と飲み屋で話す機会があった。ふぐとふぐの料理にまつわるいろいろな話を聞かせてもらい面白かった。その中にこんな話もあった。
保健所の担当者がですね、ふぐを調理した後のものをどう処理しているか詰問してきたことがあったんです。犬や猫やからすなどが残りものを持ち出したりしたらどうするんだということのようでした。私は言ってやりましたよ。
犬、猫、ねずみなどはふぐの残りもののとこへなど絶対近づかない、まして口をつけるなど決してありえないってね。
そうしたら、保健所の担当者は黙ってしまったという。保健所とか役所の担当の方はとかく、経験で裏打ちされない学校で習った知識だけふりまわすからと苦笑もしていた。
友人の奥さんは医師。その奥さんが友人に語ったという話題。入院していた漆職人、医師が問診の際、やりとりの中でこんな話をしたという。
(漆の作業などで)部分を教えると誰でもすぐ出来るようになるが、全体を完璧に仕上げることはなかなか難しい。職人の世界ではそれを可能にするのが徒弟制度だ。だが、最近は時代に合わないのかそんな苦労までして技術を修得しようとする者は滅多にいない。医者の世界でも同じようなものではないか?
ということだった。医師である奥さんは、その患者が、自分の病気はのっぴきならない重いもので、ひょっとして木を見て森を見ない診療でもされたらたまったものではない、また親方の家で生活を共にしながら、すべての仕草をまねて技術を身につけてきた職人魂が骨の髄まで染みこんでいる者にとって、人間のからだを見るのに今の医術の修得方法でははなはだ心もとない、と暗に言ってるように感じてハッとしたいう。
医師である奥さんは更に、医師の世界にも徒弟制度のようなシステムは時に大切かもしれない、最近は患部を見ても、からだ全体や人まで診る医者は少なくなっていると…。
知識は学校でも図書館でもその気になれば身につけられる。しかし、単なる知識は伝えられても、真に体験・実証に裏付けられた知識、知識に裏付けられた体験や技を伝えて行くのは至難なことだ。
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