安倍首相は世界基準でみればリベラルです。
リベラルとは自由を語源としますが、政治用語では「改革派」とすることもあります。
だから冒頭の「全国的に獣医学部の新設を認める」とは、安倍首相の政治姿勢そのままで、むしろ本分です。
第一次安倍政権で、急進的に「改革」をすすめたことで、内外に敵を作った反省から、抵抗勢力を少しでも減らすために斬新的に改革を進め、その流れから農水族や獣医師会、文科省といった守旧派と妥協し「1校」としたに過ぎないものを「構造改革、岩盤規制の打破というのなら一校だけ認めるのはおかしい」と執拗にこのバカどもが責め立てたので、「じゃ、やる」となったのです。そしてマスコミは、既得権を守りたい文科省の青白くなったであろう表情を「忖度」して発狂しています。
安倍晋三という政治家がリベラルという認識に立てば、都議会議員選挙にさしたる情熱をかたむけない理由も明らかです。
本来的なリベラルとは、パヨクや左派マスコミのように、水面下で手を組み、公平を装い利益供与し、対立陣営を圧力や恫喝をもって封殺するようなことはせず、オープンな議論を好み多様な価値観を認めます。
仲間は助けますが、それは自助自立という前提があってのことで、これは安保法制の改定が実現した日米同盟に似ています。つまり、血を流す覚悟がなければ助けない、ということです。
いま、都議会自民党(都連)が流血級の危機に陥っているのは事実です。しかし、これもリベラルの立場に立てば、半分以上は自業自得と距離を置くことでしょう。
そもそも論でいえば、東日本大震災があったにせよ、松沢成文氏への禅譲が既定路線だった石原慎太郎氏の4選を許したものの、後に維新の会の国会議員になると石原に逃げられ、後釜がその威を借る猪瀬直樹氏で、彼の尊大な態度が嫌いだからか、資金問題で次の手を用意せずに追い詰めて辞任させます。
たんなるいじめレベルの騒動ながら、追い出してスッキリしたと喜んでいたら、ゲス添を都知事に仰ぐことに。彼は自民党が塗炭の苦しみを味わうなか、さっさと逃げ出し新党を作ったゲス男。
それでも過去、2度の反省を踏まえれば、決まった以上は支えるのが大人の態度ながら、いくらゲスとはいえ、むしろ権力に敏感なゲスだからこそ「使い倒す=傀儡」にする方法も採れた都連なのに、マスコミに便乗して追い込んで、気がつけば百合子。
少々、キツイお灸が据えられても自業自得と考えるのが真っ当なリベラルで、これは自助自立の裏表です。
都議会選挙は国政を占うといいますが、それは都議会選挙の直後に国政選挙があったときだけというのはデータで証明されていて、仮に都民ファーストが議会第一党、あるいは過半数を占めるようになってもそれも時の流れ。
安倍首相と自民党の悲願である憲法改正の発議に必要な国会議員の数は揃えております。これも加計学園と同じ、岩盤規制ですから、わずかでも動かすことが大事、とリベラルな安倍首相は考えているのでしょう。
だから、結果は時の運。まず議論が始まることが大事で、その為の議席はもっている以上、都議会の議席の優先順位は低いのです。
まことしやかに囁かれた「衆院解散」をして、都議会とのダブル選挙に持ち込めば、都民ファーストにダメージを与えることは可能で、ついでにいえば公明党に大怪我を負わせる千載一遇のチャンスでありましたが、やはり、リベラルなアベッち。
そこはそれ、これはこれ、で優先順位に従い判断したということです。
むしろ、都民ファーストの大勝利が、国政政党の自民党としてはプラスに働く、という目論見もあるでしょう。
これは豊洲市場と築地の混乱をみていれば「決められない知事」「それに盲従する議会」になることが予想されるからです。
また、今まで発表されてきた、小池都知事以前からを含めたすべての資料があらかた事実だとすれば、諸設備の整備も含めて東京五輪の開催は難渋を極めることは確定しており、その責任は小池百合子都知事の「独裁」が理由です。
政府とすれば高みの見物、落選議員には「足腰を鍛えろ」と叱咤し、次は勝てると激励すれば良いだけのこと。
良くも悪くも「民進党による悪夢の政権交代」の経験が、自民党に、そして都議会自民党にもあります。
中選挙区制的な都議会議員選挙と、小選挙区は異なりますし、今は「安倍憎し」で結束しているマスコミも、都政が破綻したならば、それを報じずにはいられません。
と、安倍首相を「リベラル」と定義すれば、すっきりと見えてくることながら、バカだから見えず、バカだから気づかず、バカだから大騒ぎして視聴者の信頼と信用を失っています。
テレビを見ていて「何を言っているかわからない」と頭を抱えたなら、それが正解。違和感を覚えるのも正しい。バカじゃんと思ったなら、それは犬に尻尾があるほど当たり前の話。
いまのテレビへの評価は「わからない」が正解です。
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