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中学生のドラマーに往復ビンタ。日野皓正氏の「制裁」が壊したもの

ジャズトランペット奏者・日野皓正氏が、中学生によるビックバンドの演奏中、一人の生徒がドラムソロを止めなかったことを理由に、その生徒を往復ビンタしたことが最近大きな話題になりました。この騒動を受けて、メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』の著者で在米作家の冷泉彰彦さんは、ジャズにおけるドラムソロの位置付けについて言及し、この騒動が「ジャズ音楽全体の創造性を壊した」として、厳しく非難しています。

ビンタ問題とジャズのドラムソロの立ち位置

8月20日、昔の玉電の駅跡に建った高層ビルに入っている「世田谷パブリックシアター」で、中学生による「ドリームジャズバンド」に加えて、その指導をしてきたトランペッターの日野皓正氏による「日野皓正 presents “Jazzfor Kids”」という公演が行われました。主催は世田谷区教育委員会で、区が取り組む「新・才能の芽を育てる体験学習」の一環だったそうです。

問題は、アンコールの終わりの方で各パートのソロが順に行われる部分で起きました。報道によればドラマーの一人が長い乱れ打ちをやったので、日野氏が怒ってまずスティックを取り上げ更に素手で叩き続けた少年に対して何だその顔はという暴言とともに往復ビンタをしたのです。

私は勿論、その場にはいませんでしたし、コンサートの全体映像を見ることもできていません。一部の報道や証言によれば確かにそのドラムソロは、全体の音楽からは浮き気味であったり、明らかにそのドラマーだけが長過ぎたりということはあったようです。

ですが、一部に出回っている動画を見てみると、日野氏が怒ってひな壇を駆け上がる直前まで、問題のドラマーのプレイにはアドリブでトランペットが絡んでいましたから、異常な形で「音楽が破壊されていたとは考えにくいように思います。

この問題ですが、証拠の映像がある以上、これは明白な暴力行為で刑事罰が相当ですし、民事責任も全うすべきと思います。また、指導者が年齢や権威によって、更に暴力行為によって子どもの表現活動を抑圧したことは明白であり、再発防止のために何が間違っていたのかという議論と検証が必要と思います。

その議論と検証なくしては「総合学習」などというお題目はナンセンスになりますし、また保坂展人区長にしても、ここでダンマリを決め込んでは、中学を相手に「内申書裁判」をやって以来、日本の教育の硬直性を批判し続けてきた、それゆえの人気や信用も雲散霧消してしまうのではないでしょうか。

これに加えて、ジャズ音楽におけるドラムソロの位置づけという問題も、背景にある問題として無視できません。ジャズにおけるドラムスというのは非常に重要なパートです。リズムを刻み、そこにスイングなどのグルーヴ感を乗せていくのにはドラムスの存在感は不可欠だからです。

ですが、ジャズにおいてリズムの主導権がドラムスにあるのかというと、それは違います。優秀な演奏家は、サックスやペットにしてもピアノにしても、あるいはギターや、勿論ベースにしても、それぞれのリズム感があり、また楽曲の解釈があり、またアドリブでの演奏表現があり、ですから局面に応じたグルーヴ感を表現するし、また表現したいと思ってプレイしているわけです。

ですが、トリオにしても、この場合のビッグバンドにおいてもドラムスというのは、極めてリズム性の強い楽器ですから、どうしてもドラムスの叩き方が楽曲のリズムを支配する傾向があります。ですから、基本的にはピアノがリードするグループの場合は、ピアノの持っているリズムをドラムスは忠実に追うし、ペットがリードする場合はペットのリズム感をドラムスは尊重して合わせるわけです。

では、ドラムスは常に受け身であり、伴奏者であるのかというと、決してそうではなく、やはり非常に説得力のあるリズム楽器として、一国一城の主という感覚の独立心がそこにはあるわけです。ドラムのソロの部分というのは、ある意味では、そのドラムスのプライドを見せる部分であり、だからこそ歴史的には、その部分に白熱の名演奏が多いわけです。

このドラムスのソロですが、例えばフュージョン系のナンバーで、かなりイーブンな感じで流れてきた曲の場合、最初はその流れを受けつつも、途中からかなり激しく揺らしたり詰めたりしながら相当に刺激的に展開する場合もあるわけです。また、それが許されてもいます。頑固なフュージョン系の客などは「うるさい」という反発を示すこともありますが、プレイヤーの方は分かっていてドラムスの挑発を「どう受けるか」計算を始めるわけです。

その辺を「目配せ」したりしながら、やがてドラムスがアドリブ的な乱れ打ちから、その曲の元のリズムに戻しつつメロディーのカムバックを引き寄せる、そしてピアノなりペット、あるいはサックスなどとベースやギターが合奏に戻ってきてアンサンブルになる、その「過渡期」と言いますか「つなぎ方」の呼吸感というのは、音楽の「実においしい部分」であるわけです。

また、最初は相当にメロディー優先でイーブンな感じで来た「おなじみの楽曲」が、間にドラムスの挑発的なソロを挟むことで、合奏に戻った後も、不思議な「熱っし方」が音楽に入ってきて、味わいが深まるというようなマジックも起きることがあります。これもまた音楽の「おいしい部分」です。

クラシックのコンチェルトでは、独奏者のソロパートであるカデンツァがやたらに濃厚な味になりがちな分、それが終わってオケの伴奏で最初の主題が戻る辺りの音楽はどうしても弛緩してしまいます。その「ゆるさ」が醸し出す残念な形式主義とは違って、この点に関しては、明らかにジャズの方が音楽的に高度であるように思います。

日野氏の今回の行動は、そうしたジャズ音楽全体の中で、ドラムスの持っている特殊な立ち位置、メロディアスな他の楽器との緊張感があり、それゆえにお互いが創造のマジックを享受できる魔法の関係というものを、壊してしまったように思います。

音楽の魔法は、その場で壊されただけでなく、フュージョン系の「ドラムスは静かにリズムを刻んでいればいい的な偏見に大きな顔をさせることで、より社会的にも壊されてしまったと言って良いのではないでしょうか。

image by: Shutterstock

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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