これがモンダイとなるのは、その子の適性と希望する進路がかなり食い違っている場合、解りやすく言えばムリ目な進路の場合です。
- 手先が不器用なのに、螺鈿細工師
- 体育がフツーくらいなのに、プロ選手
- 数学が嫌いなのに、銀行員
- 勉強が嫌いなのに、学校の先生
…いや、こういうこと言う子、いるでしょ?
こういうムリ目な進路の場合が、最もモンダイなんですよ。親から見ても向いていて、まあまあイケそうで、子供の嗜好性に合っていて、熱意があるなら、モンダイないんですよ。
それでも、私が書いたような、コドモの考えとか判断をアテにせず悪く言えば無視するかのような発想は、個性と自己決定を過剰に重視…あ、いや、尊重する現在の日本では、強権的で後見的に感じられるかもしれません。
ですが、コドモの甘い見積もりで上手く行くほど世間が甘くないことは、他ならぬ私たち大人こそが知っているのではないでしょうか(●_●)。
適性とは言えない進路を選択した場合の、人生のしょっぱさはそのコドモがその後の人生でずっと味わい続けなければならないんです。それは、その子にとって幸せでしょうか?
さらに言えば、その厳しさはムリ目な進路を選択したときにこそ表れます。近所の大人だけでなく学校の先生も予備校の講師も、誰も「キミにはムリだよ( ̄へ ̄)」と厳しい宣言をして諦めさせてくれたりはしないですから。しょっぱい思いをしながら、若い時代を空費するだけです。
この憎まれ役をやるのが、最も近くでコドモを見守り応援してきた大人の、つまりは親の責任です。ネズミには、助手席にゴールドドライバーが必要なんですよ。少なくとも運転の初めにはね。
同じ道でも違う道でもなく、その子の道しか歩けない道。進路に関わる親の責任は重大ですよ。
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