安倍総理が「9条の改憲」発議を強行しそうな、4つのタイミング

 

安倍案の中身のでたらめさ

安倍首相は年頭の会見で「新しい時代への希望を生み出すような憲法のあるべき姿をしっかりと提示する」と胸を張って見せた。しかし、彼がかねて主張している「9条1項2項はそのままにして3項を付け加えて自衛隊の存在を明記する」という案が、一体どういう新しい時代への希望を指し示すのだろうか。

1項2項には触らないというのが、9条に手を掛けることへの反発を和らげようとする子供騙しのような策略にすぎないことは言うまでもない。ところが安倍内閣は実はすでに1項2項に触っていて、それは15年安保法制の強行成立の前提となった14年7月1日付の閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」である。

これまで政府は「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし……現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

──というこの回りくどい表現の閣議決定において、すでに1項2項は集団的自衛権に基づく海外武力行使を一部容認するよう解釈変更されている。そのように重大な任務変更が行われた自衛隊の存在を、さらに念を押すように3項に明記することで、後戻り出来ないように確定しようというのが安倍首相の狙いである。

集団的自衛権というのは、冷戦時代までの国家間戦争が当たり前だった時代に、いくつかの国が軍事同盟を結んで仮想敵と対峙しようとするに当たって、自国が直接攻撃に晒されていなくとも同盟国が攻撃されたらそれを我がことと捉えて共に血を流すことを厭わないという、まこと勇ましい血盟の証である。冷戦が終わって、その遺物である敵対的軍事同盟としての日米安保条約を解消して、アジア地域の相互安全保障の新しい枠組みを作り上げていかなければならないというのに、未だに安保にしがみついて、米国を盟主とし、日本が長男、韓国が次男で両脇を固めた米日韓「反共」軍事同盟によって北朝鮮とその背後の中国、ロシアと対決しようとするかの時代錯誤の構図を描き上げて、それを一層効果あるものにする手段として集団的自衛権の解禁で米国が発動する戦争に日本が協力できるようにするのが、14年閣議決定~15年安保法制~18年(?)改憲という一連の措置であって、繰り返すけれども、これがどうして「古い時代への逆行」でなくて「新しい時代への希望」なのか、安倍首相に対して野党もマスコミも徹底的に問い詰める必要がある。

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