緊急入院から12日後、妙なハイテンションの中で、新潮社の担当編集者に、この当事者感覚を文字に残したいと懇願する。誤字脱字に誤変換のボロボロの企画メールだったようだが、この企画を採用した編集者もいい勘してる。ただ、その後の回復の過程はすさまじく苦しいものになるのだ。
著者は「よそ見会話病」と「右前方無差別メンチ病」というしょうもない症状が出ている。ブレる視線に震える手でアマゾンを検索し、高次脳機能障害関連の本を何冊か求めて読み漁る。見上げた記者根性である。どうやら右脳を損傷したため、左方向への注意力が阻害され、右方向への注意力が一層亢進、過剰になっているらしい。
記者とは分かりづらい事象を分かりやすく「具体化あるいは抽象化」し読者に理解を深めてもらうのが仕事だと考えている。いわば「同一言語上の翻訳作業」である。医学上の難解な事象をわかりやすく説き、日々のリハビリをユーモラスに具体的に描く。
脳細胞とはとんでもない潜在能力を持っていて、死滅してしまった脳細胞が担当していた機能は、その周辺の生き残った細胞が代替してくれる。その選手交代を手助けするのがリハビリ医療であり、やればやっただけ回復するという。
回復しない障害もあるが、諦めた瞬間に一切回復しなくなる。諦めない限り、回復する可能性はある。それがリハビリの基本だ。リハビリには、理学療法、作業療法、言語聴覚療法がある。自立し、作業し、会話する。発症直後は、リハビリ療法士たちの「やれないこと探し」があまりにも的確で、意地悪な課題ばかりを出すのに何度も心の中で毒づくが、やればやるほど機能が回復した。
肉体の麻痺に対するリハビリは、やる気さえあれば効率的に行える。だが、病後の彼が実感するのは、自らに課した最大のテーマ「何が不自由になっているのかを探す」ことが難しいということだった。言語化や文字化を仕事としている著者でさえそうなのだから、高次脳機能障害者の多くはその不自由感やつらさを言葉にできずに、自分の中に封じ込めてただただ我慢しているのかもしれない。
発達障害や精神疾患の患者も同様で、「言葉も出ずに苦しんでいる」人々が多いのだろう。著者は職業柄、辛うじて自分の状況を判断し、なんとか言語化することはできたが、次に困ったのは「発話」が困難という障害だった。そして感情が暴走して止まらなくなる。本当の地獄は退院後にあった。このへんは読むのがつらいが、言語化できるのはさすが記者魂である。









