ここがヘンだよ「森友問題」。マスコミが報じない猛烈な違和感

 

7)もう一つは、総理に対して「帝王学」的なスキルが大事だと忠告する、つまり中国の政治用語でいえば「諫言(頭の痛い指摘を下から上へ具申する)」をするような人材が配置されていないという問題です。周囲も含めて「イデオロギーの敵味方」だけで政治が動かせる、つまり敵を叩いて味方を結束させれば良いと考えていた甘さが、「忖度暴走という脇の甘さ」に繋がったわけです。勿論、メディアは、その辺を嫌っていたわけで、今回はその辺を叩いているわけですが、政権側、特に総理個人にこの点の修正ができないものかと思うのですが、どうでしょうか? 具体的には、大叔父にあたる佐藤栄作とか、父である安倍晋太郎なら、あるいはその周辺にいたブレーンなら、こんな「忖度騒動を許したかという反省です。

8)とにかく、嫌なのは総理夫人への攻撃です。福田(康夫)さんが洞爺湖サミットやった際に、奥様が「十二単」がどうとか「お茶」などの「ファーストレディ外交」をやって、国際的に批判されたのは記憶に新しいところです。それと比較すれば、現在の総理夫人は首脳外交にも同伴して、社会貢献活動などもキチンと役回りを果たしています。彼女の活動というのは、(エネルギー政策について、ご主人と一緒に「賛否両論を抱き込む」というのは姑息ですが、)例えば、巨大防潮堤批判にしても、その他の環境問題にしても面白いメッセージ発信をしていて、悪くないと思います。仮に、今回の政争で昭恵氏や彼女付きであった官僚などを徹底的に締め上げる」ようなことになれば、こうした「顔の見える首脳夫人」というのは日本では当面ダメになってしまいます。そういうことはすべきではありません。

9)もう一つ、とても嫌なのは「文書改ざんへの怒りが拡大していることです。例えば、森友の問題は国有財産が不当な廉価で売却されそうになったことであり、また「国のかたちに反する教育方針を持つ学校が平気で認可されそうになった」ことです。文書のハンドリングというのは、そうした不正の手段に過ぎません。その問題の本質を改めて議論するのではなく、文書という「目に見えるコンプライアンス」ばかりを追いかける、これはダメです。こんなことだから、「文書至上主義の非効率社会」がいつまでも改まらないのです。情報を問うのではなく、情報を記録した「磁気記録」がどうこうという、阿呆らしい法体系もそうですが、とにかく野党とかメディアとかが、この種の旧態依然とした発想に対して無反省であるのには、絶望的な気持ちがします。

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