僕は自分が心から満たされていないとき、人の能力や偉業と自分を比べ、自分も人や社会に認められることがしたいと思いました。自分に向いてることを探し、能力を伸ばそうとしました。結果が出たときは嬉しく、自分のしたいこと、得意なことができていると思っていました。
しかし、いつまで経っても自分よりすごい人と自分を比べてしまい、人の目や評価が気になります。自分は自分であって良い、今のままでよいと自分を肯定できません。しばらくモヤモヤが続いたあと、認めたくはなかったのですが、自分は成長し能力を上げ、社会に認めらることが“目的”になっていたと気づきました。
人からの評価で得られる結果は、本当に欲しいものを得るための“手段”でしかありません。自分の内側を観ていくと、人や社会に認められることで、自分で自分を認めること(自己受容)、心の平安、つながり、愛などを求めていたのだと分かりました。僕の心が求めていたものは本当にシンプルなものだったのです。
人や社会からの期待に応えるのは大切なプロセスではありますが、自分の心が完全に満たされていない状態や自己受容できていない状態で人に認められる為に努力し結果を出しても、それは一時的な満足でしかなく、心は完全には満たされません。自分で自分を認めることでしか自分の心は満たせないからです。
何かができる自分を認めるのではなく、何もできない自分を受け入れ愛したとき、つまり、自分は自分であっていいという本当の自信を持つことができたとき、自分の心は完全に満たされ僕は、真の心の平安や愛、つながりを感じらる様になりました。
逆説的で信じられませんでしたが、何かができる自分や結果を出せる自分を目指すのをやめたとき、そのままの自分を認められ、努力では得られない力が芽生え、心の平安や愛を感じられる。自分の心が完全に満たされると、人の幸せを心の底から喜べる。自分の可能性を信じられると、人の可能性も信じられる。自分を愛せるほど自然と人を愛せる様になっていく。能力や結果は努力したり、何かすることで得られる。愛や心の平安、自己受容は受け入れたとき得られる。
目的を明確にして大切なものを得る為の方法を間違えないことが大切なのかもしれないな。
【今日のコツ】
自分を認めた人は自然と相手を認め、自分を完全に愛した人は自然と人を愛せる。
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