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「数十年に一度の豪雨」……表現のインフレが巻き起こす二次災害

幾度となく自然の猛威を見せつけられた2018年の夏。正確な情報を得るためにメディアの報道は欠かせないものですが、その報道のあり方自体に否定的な見解を示すのは、米国在住の作家・冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、メディアの防災・災害情報の伝え方における2つの問題点を指摘するとともに、防災教育を通した「気象リテラシー」の底上げの重要性についても記しています。

ここが変だよ災害報道

この夏、日本では度重なる集中豪雨や、数度にわたる台風の接近・上陸があったわけですが、日本におけるTVやネットを通じた災害報道を見ていますと、どうしても違和感を感じてしまうことがあります。

まず、どうして次から次へ「新しい言葉」を作らなくてはいけないのでしょう? さらに言えば、苦心して作った「新しい言葉」が機能しないというのは、どうしてなのでしょう?

例えば「数十年に一度の豪雨」とか「特別警報」というような「新語」があります。「この数十年に一度」というのは、実は「特別警報」の定義であり、同時に危険度をアピールする表現なのですが、どうも問題があるようです。

どういうことかというと、日本語によくある「表現のインフレ化」という回路に入ってしまうということです。日本語というのは、各地方の方言を含む大和言葉に漢語、欧米語といったバラエティに富んだ言葉ですから、同義語が山のようにあります。そして同じ意味の同義語の中で、何を使うかによって異なったニュアンスを表現する言葉でもあります。

そのために多くの表現が「手垢にまみれ」ることで、どんどん平凡になり特に形容の強度が崩れるということが起きるのです。例えば、ヤバいの意味が、時間の経過とともにどんどんヤバくないことになるようにです。

災害時の警告や避難喚起というのは、人命に関わる問題です。ですが、そこでこの「インフレ化」が起きているというのは問題です。例えば、2年連続で特別警報が出た地域では、「数十年に一度と言うけれど、去年もあったじゃないかというクレームがあったそうですが、これがいい例で、せっかく作った特別警報とその表現が、もうインフレ化して言葉としての新鮮な警告機能が疲れてしまっているのです。

例えば「命に関わる」とか「命を守る行動を」というような言い方も同じで、最初は「キツい表現」ですから「怖い」という印象を与えることができたのかもしれませんが、繰り返されるとだんだん「俺の命だから文句いうな」とか「どうせ大したことはない」的な反応が出るようになっているのではないでしょうか?

新語ということでは、「マルチハザード的な」などという表現も発明されています。風と雨と高潮の重なった被害などを警告するためですが、これも目新しいうちはいいのですが、インフレ化の危険は大きいと思います。

とにかく「新しい言葉」を作るというのは止めたほうがいいです。陳腐化してインフレになり、効力が弱くなるからです。そうではなくて具体的に「水深何メートルの洪水の危険」とか「ハザードマップ上の土砂災害の危険度があるレベルの地域では危険度が高い」といった「何が起きるかを細かく表現した目に見えるようなそしてインフレ化しないような表現が必要だと思います。

それから、これだけ人命が失われているにも関わらず、一種の形式主義が残っているのも見直すべきと思います。

例えば、竜巻認定の問題があります。明らかに渦を巻いた突風で深刻な被害が出ているのに、専門家が判断しないと竜巻と言ってはいけないような雰囲気があるようです。

一部には竜巻は上昇気流だが、他にもダウンバーストという下降気流の突風があり、どちらであるかは専門家でしか判断できないので、その場で素人が勝手に竜巻と言ってはいけないという説があるようです。

ですが、問題は風が上向きか下向きかではないのです。とにかく大変に危険であり、同様の災害は繰り返してはならないわけで、災害報道というのは、将来の危険を下げる、つまり危険度を広く知らせて、多くの人に「同様の自然現象が起きたら大変だから避難を早めに」という危機意識を高めるのが目的であると思います。

であるのなら、竜巻と感じた問題はどんどん竜巻と言ってしまって、もしも後で、全く違うことがわかったら訂正するようにすればいいのではないでしょうか? いつまでも正確さにこだわって、その結果として災害の直後における報じ方が「竜巻と思われる突風」などという「ぼかし」を入れるのではダメだと思います。災害の深刻度が伝わらないからです。

最近の雷雨では、雹(ヒョウ)が降ったという事例もありました。これも専門家が認定しないと雹だと言ってはいけない」らしく、「雹のような」と言った「ぼかし」を入れた報道になっていましたが、同じことです。「雹らしいです」「やっぱり雹でした」などという間抜けな報道では、農作物に大きな被害をもたらす雹の怖さは切迫して伝わらないのです。

あとは、折角リアルタイムでの雨雲レーダーなどが、ネットで誰でも見られるようになっているのですから、その「見方をもっと子供達の防災教育として、あるいは成人教育として教えるべきだという問題があります。

例えば「線状降雨帯」の問題は、これはインフレ化しそうな造語というよりも、最新の気象学の成果として、恐ろしさが認識された大事な概念だと思います。ですが、この「線状降雨帯」というのは、後から専門家が原因は線状降雨帯でしたなどと解説しても何にもなりません

リアルタイムで見ていて、「これは大変だ。これでは裏山が崩れるのは時間の問題だ」とか「上流がこうなっていたらダムは放流しないと持たない」というような判断が、ある程度住民や行政などがリアルタイムで判断できなくてはいけないし、ある程度の教育をすればできるのではないかと思われます。

折角レーダーの情報があるので、そこで危険を感じるだけの訓練というか、気象リテラシーのようなものについて全体の底上げをする、それが犠牲者を減らすための重要なポイントではないかと思うのです。後から竜巻でしたとか、線状降雨帯でしたなどと専門家が解説しても失われた生命は戻ってはきません。

image by: Shutterstock.com

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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