7割のカーナビで使われる地図メーカー「ゼンリン」急成長の理由

 

その頃作られた古い地図が今も残っている。1962年の別府の住宅地図には、建物が1軒1軒、手書きで記されている。幅数ミリの枠にも、細かく手書き。「こうしてきれいに入れるのも技だったんです」(東京第一支社・塩本忠道)と言う。当時は製図用の道具を使って道路の曲線も描き、職人によって字体が変わらないよう、気を使ったという。

こうして住宅地図が誕生すると、「うちの町でも作ってほしい」との要望が殺到、次第に周辺の自治体に広がっていった。「住宅地図で日本中に便利を届けたい」。大迫はそんな目標を打ち立て、カバーエリアを徐々に拡大していった。

ゼンリンの転機となったのが高度成長による建設ラッシュ。都会にはビル、郊外にはニュータウンが続々と建設され、町の姿が急スピードで変化していく。手作業に頼っていたゼンリンのやり方では地図作りが追い付かない状況になったのだ。

この難題に取り組んだのが、2代目社長の大迫忍だった。何か打つ手はないかと考えていた大迫の目に、ある日ふと立ち寄った展示会で飛び込んできたものがあった。それがコンピューターによる「製図システム」の試作品。必要な数値を入力すれば、コンピューターで設計図が作れる。

大迫は「これで地図を作れば、時間も労力も大幅に減らせる」とひらめいた。だが、まだコンピューターが普及していない時代。しかも費用は、年間売り上げを超える100億円に及ぶ。役員会に諮ると、一斉に反発の声が上がった。

だが大迫は「地図で日本を便利にするには、これしかないんだ」と言って反対を押し切り、コンピューターの導入を決断した。試行錯誤の末、日本初の住宅地図の電子化に成功したのは、1984年のことだった。

大迫の決断から30年以上。それが今、ゼンリンの屋台骨を支えている。業界に先駆けて実現した地図の電子化のおかげで、インターネット地図やカーナビの分野で他社に先行。電子地図分野の売り上げは、今や8割を超えるまでに成長したのだ。

地図で便利を追求するDNAは、今も引き継がれている。埼玉県秩父市では、ゼンリンと楽天が組んだある実験が行われていた。久喜邦康市長は「秩父は山が入り組んでいますので、お住まいの方々への物資輸送というのは大きな課題なんです」と言う。

print
いま読まれてます

  • 7割のカーナビで使われる地図メーカー「ゼンリン」急成長の理由
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け