会計という言葉で過小評価?
ただ会計検査院は他の省庁に比べ「会計」という言葉がついており、おカネの出し入れをみるといったニュアンスが強く、家庭や企業の金銭の支出入を帳簿につける概念を思い浮かべ勝ちだ。しかし、国の会計検査院は単なるおカネの出し入れを帳簿につけることではなく、国の財政が適正に効率的に使用されているかどうかを監視することに目を光らせている監視機関なのだ。
「会計」という言葉のせいで、検査院が任じている大きな役割が国民から過小評価されてきたのではないかと危惧される。本来なら会計検査院というより“財務検査・監視院”といった名称にし、国民の税金の使い方を正しく導く官庁と理解されるべきなのである。
もっとモノ申す機関に
これまでは地味な存在とみられてきたせいか、検査院の重要な指摘に国民はあまり注目してこなかった気がするし、会計検査院自体もあまり積極的に自らの役割をアピールしてこなかったようにも見受けられる。しかしここ10年位で検査院の指摘が大いに注目されるようになってきた。また各省庁、自治体なども検査院の指摘に神経をとがらせるようになってきたようだ。
高度成長時代は予算も豊富にあり、各省庁などのおカネのムダ使いに寛容な側面もあったが、少子高齢化、低成長の時代になる一方で、予算のあり方に国民の目も厳しくなってきた。時代の変化に合わせ、検査院も遠慮せずに大いに予算の執行や問題に大いに注文をつけ、国会と国民に警鐘を鳴らして欲しいと思う。そのことが、時代の変化に合わせた会計検査院の新たな、重要な役割なのではなかろうか。
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