技術を開発する優れた能力があっても、経営のノウハウがなければ会社は大きく成長できませんが、その両方を兼ね備えることもなかなか難しいものです。今回の無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』では、ホンダを成功に導いた2人の立役者が残した言葉を挙げながら、1人は夢の技術開発に明け暮れる一方、もう1人は潔癖な経営を貫いたという類い希な二人三脚の様子を紹介しています。
ホンダ精神の根源(成功の条件) 技術の天才、経営の奇才
技術の天才はもちろん本田宗一郎さんで、経営の奇才は藤沢武夫さんです。この二人が苦悩しながらも大を成し遂げたのには、最初からそのような「志」があってのことで、これに人生を賭けようとしたからでしょう。この「志」を持ってお互いを理解したから、心置きなく相手の得意分野に掣肘(せいちゅう)することなく信頼しきって仕事ができたからです。
また、この天才と奇才に共通する特徴は「自身の夢」を適えるために絶えず飛躍のための格闘を行い、その都度おこる問題を必死に考え抜いて切り抜けその都度より賢くなって成長し続けたことです。未来に向かって、いつも自分の足らない能力を磨くことを生きがいとする。これがホンダが大きくさせる「企業精神」となったようです。
本田さんは、昭和44年1月の社員に読んでもらうための社報に本音の自説としてこんな中堅企業としては、一風変わったことを記しています。
世の中へ生まれたときは、働き虫で生まれたんじゃない。やっぱり何か楽しみたいんですね。ほんとうからいえば、楽しみたいから、その楽しむための時間と金がほしんだよ。だから一生懸命働いたんだ。
と。また
ひとりひとりが、自分の得手不得手を包み隠さず、はっきり表明する。石は石でいいんですよ、ダイヤはダイヤでいいんです。そして、監督者は部下の得意なものを早くつかんで、伸ばしてやる。適材適所へ配置してやる。そうなりゃ、石もダイヤもみなほんとうの宝になるよ。
と言っており、人事の要諦についてしっかりした認識を持っています。
「ホンダ」を世界企業に育て上げたもう一方の立役者の藤沢さんが経営哲学について問われた時に、こう言っています。
本田と組んだことにおいてできたことであって、あの人と組まなければできない。24年間もやってこれたっていうのは、私の考えていること、提案したことを、全従業員が実現してくれたからですね。
と言うのです。
「技術の天才」と呼ばれる本田さんの本質は何かと考えるのですが、それは「人生を最高に楽しむために、自分の大好きなこと(仕事)を必死で無邪気に無心に行い続ける」ことから生まれたものと考えられます。「技術」が「商売」だったので、一点の矛盾も許さない科学者の目と顧客の喜びに励む事業家の心証を兼ね備えているといえます。
一方の「経営の奇才」である藤沢さんは、和洋を問わず音楽に造詣が深くかつ商才があり何事かを成し遂げたい強い思いを持った人です。その藤沢さんは本田さんのことを「あんなバケモノみたいなすごい人物には、いまだかって会ったことがないよ」、そして「二人ともお金には潔癖だったな。経営の場には私的な欲望を持ち込まなかった」と言われます。
異なる好みや才能を持つ強烈な個性は、厳しい賢さと同じ価値観があったので互いに信頼を寄せ合って、お互いの得意を犯さずに補い合って絶妙のハーモニーを奏でることができたと言えます。
※一言、ここで「厳しい賢さ」と言っているのは、素直にものごと見て考えて判断し行動できるということを表しています。
藤沢さんは、本田さんというバケモノを表舞台に出すことによって大きな物語を描き出そうとし、本田さんは自分が好きなことに没頭したいがために不得意なことを藤沢さんに委ねました。ここで一言、近代経営において大きな成果を手に入れようとするなら、多様な才能が協働しなければならず、二人はこの原則の形を採ったのです。
ところで秀でて成功しようと目論むなら、秀でた天才が必要です。そうしたら、本田さんのような天才にどうしたらなれるのか、そのための急所が何なのかをつかみたいと思うのです。
本田さんは、得意な技術開発についてこのように言っています。
はたと困る。というのはすばらしいチャンスなのだ。
創意発明は天来の奇想によるものでなく、せっぱつまった、苦しまぎれの知恵であると信じている。
成功とは99%の失敗に支えられた1%である。
簡単にギブアップするということをしなかった。一見むりなものが、ああやってダメなら、こうやってみるというねばりの前に可能性を持ち始めた。
また
私は真似がいやだから、うちはうちの作り方でやろうということで苦労をしたわけである。最初から苦しむ方向をとったから、あとは楽になった。真似をして楽をしたものはその後に苦しむことになる。
逆境をくぐり抜けないで、成功しようなんて無理ですね。
その一方で教わることにも積極的で、こんなことを言っています。
自分の知っていることは、あまりにも貧弱なことと感じている。何かを投げかけることで、新しい興味ある知識なり考え方なりが返ってくるかもしれないではないか。
失うべき何もなく、聞くことが平気だから知恵がどんどん入ってくる訳だ。
※本田さんは、とにかくおしゃべり好きだったそうで、誰彼となく知らないことや疑問に思っていること聞き出し問いかけて、そうすることで自身の考え方を確かめまとめて行ったそうです。
さらに
そっくり他人に教わると思わず、本に書かれたものをそのまま鵜呑みにしなかった。
おれが知りたいのは未来なんだ。学校で教える知識は過去に属する知識だ。こやしならぬ過去なら捨てたほうがよい。知らいないことは専門家に聞けばよい、安心して聞いた。私にあるのは教わった知識とそれとともにやって知った体験で、それが未来にすすむ力になってきているのでないかと思う。
好きこそものの上手なれ。これはどこにも通じる真理だと思う。命令され働くのと自主的に働くのとでは全く違う。
そして、さらにただ単なる天才的な技術屋でないのは
俺が見たのは必ず実現する夢ばかりでね。具体的でないと考えるのも嫌なんですね。
商売というものは厳しい競争である。商売の世界にはゴールはない。永遠に夢見て生き残って行くための努力を続けるのである。
得意なことを一途にやっても、つぶれかけることがある。ましてや不得意な分野に手を出した人が失敗するのは当たり前。
画家のシャガールのように、使命感の感じられる何かを見つけたら、また必死になって研究する自信はある。
社長の仕事はつきつめていくと「人事」だけと思っている。
研究所は、技術を研究する所ではない。人の気持ちを研究する場所だ。
寝食を忘れて技術開発に取り組んだからな。それができたのも藤沢と出会ったからだ。カネのことや営業、経営はあちら任せ。社長判も預けちゃった。藤沢が来て、研究に打ち込めるようになったから、次々と新製品ができたと思う。それには河島喜好、久米是志なんかも付き合ってくれたからだ。
おもしろいエピソードがあります。取引先の外国人を浜松の料亭に招待したとき、その外国人が誤って便所の便ツボの中に入歯を落としてしまったのです。そのときに、本田さん自らが広い便ツボのなかにもぐりこんでソーッとかき回して、やっと見つけ出すことができたそうです。その時の気持ちを
ああいうことは他人には頼めないだよ。誰だっていやなんだもの。俺だっていやなことだが、なくなったら困るよ。俺が行けば丸く収まるものな。スパナで部下の頭を殴ったり、藤沢も口やかましくどなりつけたりしたけど、脱落者が出ずについてきてくれたのは、僕も藤沢も、人に好いてもらっていたからだと思う。いやなことは自分がまっさきにやらにゃあね。
本田さんにしろ藤沢さんにしろ、その本質を言い表そうとするならば最もよい言葉は「アーティスト」であるということで、その作品は「企業」であって原理・原則的な感性を持つ「世界的企業」であると言えそうです。ゴッホの描いた「ひまわり」と何ら異なることはなく、同じく情熱家の行いであって、違っていたのは二人ともが「賢い現実家」であったことでしょう。
image by: Honda 本田技研工業(株) - Home | Facebook