透析中止報道で露呈。遺族の気持ちを顧みない大メディアの無神経

 

私の父は、4年前にすい臓がんで他界しました。透析だけにかかわらず、がん、認知症など、すべての治療法への選択に関して家族は悩みます。特に年老いた親の場合、「1日でも長く生きていて欲しい」という気持ちと「治療で苦しむより笑顔でいられる日が1日でも多い方がいい」という気持ちが交錯する。

そして、最後を迎えたあと再び悩む。「本当にあれでよかったのか?」と。

どんなに本人の考え、思考性を考慮した選択であっても、最後は…死にいたります。そのときから「他の選択肢もあったのではないか?」という自問がはじまり、時間が経ってもその気持ちがすっきりと晴れることはありません

今回の人工透析中止の問題については、メディアやSNSのほとんどが透析を中止した福生病院に批判的でしたが、医師など医療側からは福生病院を擁護する意見も出されました。しかし、「家族に関するものはほとんどありませんでした

唯一(私が確認した限りですが)、臨床倫理の専門家である東京大学の会田薫子先生が「日経メディカル」のインタビュー記事で、次のように答えていました。

一連の報道の中には、透析を行わずに死亡した患者さんが20人ほどいたというものもありました。このような報道をするメディアの方々には、「この記事を読んだ遺族がどのような心境になるか想像してみたことがありますか?」と問いたいです。

なぜ、「治療の選択」ではなく「死の選択」という、センセーショナルなフレーズをメディアは使うのか?なぜ、いつも「悪者探し」をし、叩くことばかりの報道になってしまうのか。なぜ、なんでもかんでも「白黒つけるようなことばかりするのか。私には理解できません。

私が専門とする健康社会学は、「健康・病気と保健・医療の世界における問題を、行動や生活、家族や集団、職場や家族、制度・政策や社会・文化に関する社会学の理論と方法を用いて解明あるいは解決することに寄与しようという学問分野」です。

医療の世界には、この四半世紀でさまざまなパラダイムシフトがおこりました。その中のひとつが「死亡か生存か?からQOL生命・生活・人生の質の向上へ」という考え方です。

家族は自分の大切な人の「生活の質を維持するために」残された日々を必死で過ごします。だって、それしかできることはないから。当人が「笑う」ことが、最高の“光”だからです。

その家族の思いを伝える側がほんの少しでも考えてみれば、叩くだけの報道にはならないのではないでしょうか。

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