戦争もコロナ対策も「空気」で決める日本。エリートがなぜ道を誤る?

 

空気重視の文化を変えるには教育改革が必要

結論、空気を変えられるか否かは、責任をとれるかどうかにかかっている。責任をとろうとしない人には、決して空気は変えられない。だから、どんな規模にせよその組織のトップがどんな人物であるかは、決定的に重要である。

空気重視の文化。これ自体を変えるということは、難しいといよりも、無理である。それより、より良い空気を自ら作り出そうとする人を多く育てる方が現実的である。それには、教育から変えるしかない。そして国民の全員が必ず受けるのは、学校の義務教育だけである。

今の知識偏重の大学受験をゴールとした競争を煽る学校教育の仕組みからは、そのような教育は生まれない。現場がどんなに努力しても、そもそものシステム不全を起こしているからである。

幼稚園でどんなに自由闊達な子どもを育成しても、学校に入った瞬間に机と椅子にきちんと座りましょう、という時点で、終わっている。

小学校の側も、特定の大量の内容を期限内に教えなくてはならないカリキュラムになっているから、根本的には変えられない。中学、高校になれば点数重視になるのは尚更であるが、自他共に諦めがつく分、やりやすい面もあるかもしれない。

大切なのは空気を「読む」より「作る」

この小学校に入った途端に静かにきちんと座る、というのを実現するのも、実は空気である。諸外国が必ずしもそうならないことを考えれば、理由は明白である(ただし、ここを勘違いして、学級の子どもがめちゃくちゃに暴れているのに対して無責任な担任では話にならない。そもそも座らないで済む仕組みづくりとか、話を聞きたくなるようなことをするとか、そういう工夫をするのが担任の仕事である)。

こんな些末な話に始まり、子どもたちは空気を「読む」ことばかりに気を遣って、「作る」方に尽力しないのである。なぜなら、周囲の大人たちのそうした姿を普段から見てきているからである。大人の立ち振る舞いをコピーされているのである。

我々大人が、より良い空気を自ら作る姿を、真正面からはもちろん、背中でも見せていかなくてはならない。空気に従って誤った行動に無思考で全員が突っ込んでしまうような事態は、避けねばならない。今の混乱期こそ、その在り様が問われているように思える。

ここを根本から変えていくにはどうするか、学校教育の一端にいるものとして、今後も考えていきたい

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