AI全盛時代の「せめて、人間らしく」もう創造性は豊かな人生を保証しない

 

「人間らしさ」とは何か?

では、AIが私たちの職場や生活に進出して来る「アフターコロナ」の世界では、新たにどのような仕事が私たち人間に求められるようになるのでしょう。

それは、AIや情報処理システムにはできない仕事です。

かつて、産業革命当時、機械によりエネルギーを活用することが可能になると、それを操作し、その活用法を考える仕事を人間が分担するようになりました。

当時の機械には備わっていなかった人間の「感覚」や「思考力」が必要とされたのです。

これは、「人間らしさ」というものについての考え方にも影響を与えました。

人間という生物は、道具や機械を創ることにより、それまで自分自身がやっていた仕事を道具や機械に任せることで文明を発展させてきました。

そして、その度に、新たな道具や機械と自分自身を比較し、「人間らしさ」とは何かという問いを考え続けてきたのです。

自動車や蒸気機関車と人間を比べれば、どちらも燃料(食料)を取り入れ燃焼(化学反応)を起こし、そうして生み出したエネルギーを使って運動を行います。

この点では、機械も人間も同じです。

当時の人々は、人間にも「良く出来た機械」という側面があると考えました。いわゆる、デカルト(Rene Descartes 1596~1650)が提唱したような「人間機械論」です。

しかし、機械と人間は、もちろん違います。

発揮できるパワーという点では、人間よりも、これらの機械は優れていますが、そのパワーをどのように制御し活かすかということを人間は考え、実際に操縦することができます。

こうした、感覚の力、判断する力、思考力などが「人間らしい」能力であると当時の人々は考えました。

しかし、機械の進化は止まりません。やがて、こうした「人間らしい」能力の一部も機械に取って代わられるようになってしまいました。

それまで人間が担っていた「計算」や「記憶」を担当し、人間以上の能力を発揮する機械が登場したのです。それがコンピュータでした。

この時点で、思考力の一部や記憶力は、必ずしも「人間らしさ」を代表する能力ではないと人々が考えるようになりました。

やがて、光などの様々な電磁波に反応するセンサーや微量な化学物質を検出するセンサーが開発されるようになり、「感覚」における人間の優位性?も怪しくなってきました。

コンピュータが「論理」を操る機械である以上、それが進化すれば、判断力を備え、推理力を発揮し、いわゆる人間の「思考力」を凌駕するのは時間の問題でした。

チェスや囲碁などで、コンピュータが人間に勝つようになり、私たちは、「思考力」すらも最早「人間らしさ」を代表する能力ではないと考えるようになりました。

現代では、こうしたコンピュータが諸々のセンサーや情報入力システムにつながり、得られた膨大なデータから、研究の対象とする現象について、深いレベルの法則性を学び取ることができるようになりました。いわゆる「ディープラーニング」です。

既に、自動運転や癌細胞の自動検出などの分野でディープラーニングの技術が応用されています。これにより、画像認識などの領域では、AIの方が人間の認識能力を精度の点で超えてしまいました。

たとえば、大群衆の中から友人の顔を探し出す作業は、人間よりもAIの方が早く正確にできるようになったのです。

当然のことながら、産業革命の時代と現代では「人間らしさ」とは何かという問いへの答えは違ってきます。私たち人類は、自分たちが創り出した道具や機械を「鏡」として、「自分らしさ」を見つけようとしています。

しかし、その鏡は、不断に進化し、それに合わせて新たな映像を映し出します。その進化は、人類が存続する限り、永遠に続くのです

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