AI全盛時代の「せめて、人間らしく」もう創造性は豊かな人生を保証しない

 

「創造性」こそが人間らしい能力、という考えは時代遅れ

少し以前に、「創造性」こそが人間らしい能力であり、AIが活躍する時代において人間に求められる能力ではないだろうか? というような議論が盛んになったことがあります。

しかし、それは既に時代遅れになってしまったような気がするのです。

創造性というのは、これまでになかった新しいものを創り出す能力です。

しかも、その新しいものが、人々から歓迎され、喜ばれるようなものであることを、多くの人々は期待しているのではないでしょうか。

要するに、市場で競争力を発揮するような、「儲け」につながる創造性です。

しかし、そうした意味での「創造活動」ならば、既にAIを使って(こっそりと)行われているのではないでしょうか。

たとえば、ポップミュージックの世界で、これまでにヒットした曲をデータとしてAIに与え、ディープラーニングのような手法を使ってその「深層構造」を学習させ、それに基づいて新たな楽曲を創造することは充分に可能です。

実際に、そうしたやり方で作曲?をしているのではないかと疑われている作曲家もいるのです。

全面的にAIに頼らなくても、アイデアが枯渇した時に、こうした手法で創り出したいくつかの曲の中から気に入ったものを選び出し、それに一部手を入れたり編曲したりすれば、何となくその人らしいオリジナル曲?ができ上りそうですね。そうは思いませんか?

多くの人気楽曲は、当然のことながら、過去の作品の延長線上に創られています。

当然、このプロセスは論理的に解析できるはずです。

これは何もポップミュージックの世界に限ったことではありません。

詩作であれ、小説であれ、戯曲であれ、あるいは絵画などの造形作品であれ、大同小異、基本的には同じことではないでしょうか。

要するに、私たちがこれまで「創造」という言葉で呼んできたものの、かなりの部分は、AIによって代行可能なのかもしれません。

ただ、全ての創造作品がこうした枠組みの中に納まるとは思えません。

なぜなら、ディープラーニングなどのAIによる学習モデルは「数」を前提にしているからです。ポップミュージックなどは多数に支持されることにより価値を持ちます。

要するに、数の問題なのです。

ということは、逆に、ごく「少数」のものが隠し持っている価値については、まだまだAIは苦手なのです。

少数派というものが普遍的な価値につながらないかといえばそんなことはありません。

レーニン(Vladimir Lenin 1870~1924)の「前衛論」のように、少数の精鋭部隊が先頭に立ち、やがて大衆を動かすというようなダイナミズムは、政治の世界だけでなく、アートやライフスタイルにおける流行現象などでも見られることです。

当初は、そうした創造物の価値を理解する人々はごくごく少数派であっても、やがてそれが内在する普遍的な価値についての認識は、あたかも感染症のパンデミックのように大衆へと広がって行くのです。

この辺りは、まだまだ、AIには真似のできない芸当のようです。

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