心理学者が指南。繊細さんを幸せにする「生産者的人格」と快楽主義とは?

 

消費者的人格

かつて、米国の社会心理学者エーリッヒ・フロム(Erich Fromm 1900-1980)は、「消費者的人格」という概念を提唱したことがあります。

「消費者的人格」の対概念は「生産者的人格」です。

生産者は自分で何かを作ったり、サービスを提供したりすることができますから、自分の生産物を他人に与えることは喜びであり、それは自分の力の確認にもなるわけです。

ところが、どんなにお金持ちであったとしても、消費者の財布に入っているお金の額は有限であり、もし、誰かにその内のいくらかを与えるとしたら、それは自分の使えるお金が奪われることを意味します。

ですから、消費者的人格の人にとって、他者に何かを与えることは「苦痛」なのです。

その昔、東京オリンピックの招致が失敗した時のことです。

「オリンピックなんかに使うお金があったら、福祉に回せ」という議論がそれなりに支持を集めていました。

こうした議論の盲点は、確かにオリンピックには税金が使われるが、それ以上に経済が活性化して潤い、税収も増加する、福祉に回す税金も増やすことができる、という現実的な経済法則を無視していることです。

一定の「予算」を奪い合う「ゼロサムゲーム」的な発想は、まさに消費者的人格から生み出されるものであり、新たな起業により全体のパイを大きくしようという「ノンゼロサムゲーム」的な生産者的人格による発想とは真逆のものです。

私も、オリンピック開催には疑問を持っていますが、一方で、「福祉」予算を奪い合うような発想には付いて行けません。

そこには、皆で協力してパイを大きくしようという、生産者的視点が欠落しているからです。

歴史に学べなどと言うつもりはありませんが、古代ローマ帝国の末期、自分自身ではなんら生産的な努力をすることなく、「パンと見世物」を皇帝に要求することしかしなかった愚民たちが、あの豊かな世界帝国を滅ぼしたことを思い出すべきです。

それより何より、自分が消費者的人格に陥りたくないと思うのは、そうした人格は「愛」への可能性を閉ざしてしまうからです。

なぜなら、愛は「見返り」を求めないものであり、「ギブアンドテイク」の「市場経済倫理」や「フェアな取引」とは対立するものだからです。

たとえば、「あなたを愛してあげるから、見返りにお金をちょうだい」という話になれば、それは売春です。愛ではありません。

私は職業としての売春を必ずしも否定しない立場で、職業に貴賤は無いと思っています。

日本の法律では禁止されていますが、性的なサービスの代価にお金を要求することは市場経済倫理にもかなっているフェアな取引です。

しかし、個人の自由意志から生まれる「愛」と、職業倫理に則(のっと)ったサービスである売春とはまったく別物です。

ですから、売春を生業(なりわい)にしている人たちであっても、自分の愛する人から料金は取りません。人は愛する者のためなら、喜んで与えるべきものを与えるのです。もちろん無償です。

こうした「無償の愛」を行えるということは、その人の中に生産者的人格が生きていることの証(あかし)といえるでしょう。

戦後75年、日本国民の間に、ここまで消費者根性が蔓延してしまったことは、何とも悲しいことです。

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