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学ぶことは好きなのに「勉強しなさい」を不快に感じる子供の心理とは

今クールのドラマ『俺の家の話』で年老いた人間国宝役を怪演している西田敏行さんは、40年以上前のCMで、掃除をしたか聞かれて「今やろうと思ったのに、言うんだものなー、もう!」と叫び、世の夫たちだけでなく、「勉強しろ」「片付けろ」と日々言われ続けた多くの子どもたちの共感を得ていました。誰もが覚えのあるこの不快な気持ちが起こる理由について、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは「報酬が判然としないから」と考え、人間の行動に影響する不安と努力と報酬の関係について綴っています。

不安と努力と報酬のこと

「勉強しなさい」。誰もが一度は言われたことのある言葉であろう。そして、誰もが多かれ少なかれ不快の気分とともに記憶している言葉でもあろう。何故、不快なのであろう。本来、人間には知的好奇心というものがあるから学ぶこと自体は嫌いでは無い筈である。実際、勉強が苦手な子供でも自分の好きな一分野に関しては驚くほどの知識を持っていたりする。人間は誰も学ぶことが好きなのである。

では「勉強しなさい」に限って、どうして不快なのか。それはきっと、報酬が判然としないからである。脳科学的に言い換えれば報酬系(reward system)が刺激されず、神経伝達物質のドーパミンが分泌されないからである。

敢えて卑近に言う。褒美が分からぬものに人間は熱くなれないのである。このことは人間の性質の中でも、ある種極めて合理的であると言える。確率統計学的に言っても、報酬の分からないこと(それが勝負事であれ仕事であれ)はすべきではない、というのが正解なのである。

逆に言えば、報酬が明示されさえすれば人間は大体のことには取り組めるということである。良し悪しは別にして、お小遣いの額とテストの結果が連動した成果報酬式にすれば、間違いなく子供は勉強する筈である。少なくとも希望があるうちは。

そもそも、大人だって報酬のないことに努力はしない筈である。趣味であってもそうである。多大なる金と時間を費やしてまで人が熱くなるものには必ず何らかの報酬があるのである。

例えば、登山をする人は登頂を、釣りをする人は大漁なることを期待する。いくら登っても頂上が存在しない山(仮にあるとして)には誰も登らないだろうし、魚が一匹もいない池には如何な太公望も釣り糸を垂らすことはしないであろう。子供、というより今や大人でさえもが夢中になるゲームもそうである。プレイすることでレベルが上がり、マップが増え、武器のグレードが上がる。すべて報酬である。

自分は努力が足りない。そんなふうに思っている人も少なくないだろう。しかしそれは、報酬が明らかでないために生じる不安に起因していることが多い。人間にとってこの不安は思っている以上に巨大なものなのである。

こんなことを聞いたことがある。数学者にとって一番の恐怖は自分が解こうとしている問題に最初から答えなど存在しないのではないか、という疑念らしい。

「報酬が存在しないのでは」
「この山に頂上はないのでは」
「この池に魚などいないのでは」

不安はどこからでも生じる。そして、心は常に揺れる。これに立ち向かうには明らかなる報酬が必要である。人間は分からないことに対して漠然とした不安や恐怖を抱く。反面、具体的に分かることには、それが難題であっても存外に平気なものである。

すべてにおいて言えることだが、知ることは克服の第一歩である。報酬を知ることで、それが自分にとって価値あるものなのか、思いの外大したことではなく、とても努力に見合わないものなのか、ある程度は分かって来る筈である。価値ある報酬ならば人間、大抵のことは出来る。当たり前のようにも聞こえるが、よくよく考えれば、それが如何にも人間らしくてちょっと面白い気がするのである。

image by: Shutterstock.com

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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【著者】 山崎勝義 【月額】 ¥220/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎週 火曜日 発行予定

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