小山田圭吾氏の「反省」は本物か?現役探偵が告発、いじめの現実と加害者の論理

 

私が知る限り加害者は反省などしない

いじめには確かに軽重の差がある。何よりも早めに対処があり、多くの介入がある場合は、被害側はその被害が甚大でない条件で、加害側も悪質性がまだ軽い状況であれば、加害側が深く反省し、二度とこのようなことはしないと約束することは確かにあるが、小山田氏の告白したいじめのような完全にアウトな行為をするような加害者が、反省した様子を私は見たことがない。

ただ、私が関係していない酷いケースも多くあるわけで、その件については私は知らないから、別紙の取材には「99%」という表現にした。

多くは、事実が発覚することを恐れて口止めを行うが、事実が表に出るとわかるや否や加害者同士が口裏合わせを行い、適当な理由を繕って正当性を主張する。また、証拠類を残していないと考えるようなものや一発退学相当な悪質なものは絶対に認めないという方策をとる場合が多い。

加害者が行う最も多くの理由は、「先に私もやられたから、やり返しただけだ」であり、加害者が主張するやられた行為には、加害者同士で口裏合わせをした作られた証言以外は何もないのだ。

こうした証言は、捜査や調査のプロが聞けば一瞬にして嘘だとわかるものばかりだ。

だが、残念ながら教職員は、捜査や調査のプロではない。

例えば、溺れる場合、人は叫ぶことができないが、ドラマなどでは溺れている様子を誇張するために「助けて」と叫ぶのだ。現実と虚構の差を知るプロであれば、そうした証言が出た瞬間、嘘をついていると判断し追及するわけだが、わが校の生徒は、みんな本当はいい子なんだと思い込んでいる能天気な教員は、不信を感じたとしても追及することができない。

仮にプロがそこを追求しないのであれば、何らかの別の理由が存在していたことを意味するだろう。日本という国がどういう構造かを知れば推して知るところだ。

さて、こうした口裏合わせや認めない主張を繰り返しても、彼らが出るはずもないと思っていた行為動画やその裏でやり取りしていた自白となる内容が出てきた場合は、もはや否定することもできなくなる。

こうなると、加害者は自らの身分の処分を考えるようになるのだ。ちなみに、小中学校は学校における懲戒という懲戒がないことを付け加えるが、私学や高校生以上であると、退学処分などの学校が行う処分が現実味を帯びてくるわけだ。

また、警察が動くことになれば、少年法の範疇であっても虞犯・触法・犯罪少年という区分の他、児童相談所への送致やその他の対応が現実味を帯びてくるわけだ。

そうなると、加害者はやっと謝罪という手段を実行しようとするわけだが、こうした場合の謝罪は、加害者自身が危機を脱するための手段に過ぎない。

まさに、命乞いをする悪者が後ろ手にナイフや鉄砲をもって、主人公が命乞いに応じて背を向けたら、その刹那に攻撃を仕掛けるといった映画でよくあるシーンに似ている。

だから毎回私は被害者にアドバイスをするのだ。

「容赦してはならない。言葉より行動で判断した方がいい。謝罪したら許すという根拠のない予定調和などは一切従う必要はない。君が思うがまま、その場の雰囲気など無視して判断すればいい」

現実はドラマのようにはいかない。神様がドラマの脚本家のようにハッピーエンドでみんな仲良しに筋書きを描いてくれるわけではないのだ。

法があり、私が当事者ではないから、私自身は加害者に特別な感情は持たない。単に「いじめ行為」というものを追求するのみなのだ。アドバイスは多くの結末を見てきたという経験から発するものであり、選択は全て当事者が行うものだ。

だから、私が原案でシナリオ協力をしている漫画『いじめ探偵』でも、漫画ならば勧善懲悪でもいいじゃないかという視点もあったが、より現実に近い状況を描いてもらいたいとリクエストした。

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