小山田圭吾氏の「反省」は本物か?現役探偵が告発、いじめの現実と加害者の論理

 

被害者は一生苦しむ、加害者はどうか

一つ注意してもらいたいのは、私の元に来るいじめの相談は、どの機関に相談してもダメで、とんでもなく酷いケースばかりだということだ。

また、現在は私が代表理事を務めるNPO法人ユース・ガーディアンでの引き受けとなるが、あまりに多くの事案相談があるために、対応事案には一定の条件が設けられている。

そのため、私が直接動いているいじめ問題は、冒頭の小山田氏のいじめ行為のような酷いケースばかりなのだ。

ただ軽微だと言われるようないじめでも、被害を受けたらたいていの被害者はその時の辛さを覚えているし、誰にやられたかを忘れない。

その実、私も小学高学年の頃、親友と呼べた友人が中心となって3人がかりで毎日のように殴られたことがある。ロッカーに押し込められたり、無視されることもあった。

当時の時代背景で、体育館でタイマン(一対一で喧嘩)をして解消されたが、私は未だに彼らのやったことを覚えているし、許したことはない。それ以降、私は被害者や被害を受けそうな友人、不良全盛期の時代だったからこそ、後輩らを集めて、何かされたら一目散に駆け付けていた。母からは毎日怪我が増えるので、ぼろ雑巾のようだと笑われたが、自分の見える範囲で誰かがいじめられるのを子どもながらに止めていた。

さて話を戻そう。

私が対応する被害者全員が、いじめの被害を忘れてはいない。その中の数名は、一般に乗り越えたというところにいると思われるが、時折、LINEやメールで、思い出してしまったという話や夢で見てしまって辛いという相談をしてくる。

数年前に対応した当時小学生だった子は、現在中学生になっているが、一度も登校ができていない。いじめの学校対応があまりに酷かったために、大人への信頼感を喪失してしまっているのだ。だから、一進一退を繰り返しながらも、保護者が中心となって少しづつであるが前に進もうとしている。

私もほとんど参加はできないのだが、オンラインゲームを使って話をしたりしている。最近の進歩と言えば、お兄ちゃんと犬の散歩に出れたことで、スーパーの店員さんに「ありがとう」と言えたことだ。

こうしたいじめの被害者は、いじめの行為自体は犯罪行為と同じ行為を受けているわけだから、犯罪被害者と同等の心の傷を受けているわけだ。また、その一瞬に受けたのではなく、長期間徐々にエスカレートしていき、抵抗の心すら擦り切れて諦めてしまうほど心を強く深く抉られている。

被害者一生苦しむほどの傷を与えられ、少なくとも忘れることはないであろう。

こうした状況に対して「謝っても許されないならば、謝らないことが最適解」という最適解があるそうだが、いかにも浅はかな逆張り炎上目的な意見だと言えるだろう。

ただ、被害者目線で言えば、「謝罪という接点」すら持ちたくないから、自分の気持ちだけで近寄らないでください、関わらないでくださいという最適解もある。

かといって、私の立場で加害者に一生苦しめとはなかなか言えるものではないことは重々承知している。

ただ、今回のオリンピック小山田氏騒動を見る限り、今、加害行為をしている人物に言えることがある。

被害者は一生涯忘れない。あなたを見れば必ず思い出す。そして、誰もが発信できる社会である。小山田氏の場合、過去に何度も同一の件で炎上騒ぎが起きていた。謝罪や自省の機会は何度かあったかもしれない。あの誌面が事実であれば、許してもらえるなどあまりに甘い考えであることは明白だが。

ただ、今いじめをしている行為者は、今であれば引き返せるかもしれない。

今すぐいじめを止め、心の底から謝ることができるなら、謝罪をして二度といじめをしないでほしい。被害者が関りを持ちたくないというならば、そっとその場を立ち去るといい。

そして、今いじめで悩んでいる子へ、一連の問題から言えることは、あなたの味方は圧倒的に多いということだ。声を上げれば必ず味方はいる。いじめは加害者の行為であり、行為の選択をしたのは加害者自身である。つまり、原因は加害者自身であって、被害者ではない。被害者は何も悪くはないのだ。

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