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池田教授が考える、気象を「思いどおり操作したい」は尊大な夢か?

季節外れの8月の長雨により、西日本を中心に各地で大きな被害が発生してしまいました。自然の猛威を目の当たりにする度に、科学が発達してもどうにもならないことがあると思い知らされます。そうして神仏にすがったり、自らの力で自然を思いどおりにしたいと願ったりして人間は歴史を重ねてきました。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、著者でCX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田教授が、ジェイムズ・ロジャー・フレミング著『気象を操作したいと願った人間の歴史』から興味深いエピソードを紹介。環境改変を進めるときにメリットばかり考えデメリットには目をつぶる人々に警鐘を鳴らします。

雨を降らしたい、台風をそらしたいは、尊大な夢

人類は環境を自分に都合がいいように変える夢を持ち続けてきた。恐らく、進化の結果、ほぼ裸になった時にこの欲望は芽生えたのだろう。体毛を喪失すると、寒い時期には何かを身に纏っていないと、凍えてしまう。同じころ、火を使うことも覚えたに違いない。嵐や吹雪から身を守るために、家を建て、居住空間を快適に保つ努力も惜しまなかったろう。

農耕を始めると、原野を切り拓いて田畑を作ったり、川から水を引く工事をしたりして、穀物を沢山作る努力もしただろうが、天候を操作することは、もとより不可能であった。仏教には、善行を積んだ人が死後に行ける極楽浄土という世界があるとされるが、極楽とは暑くもなく寒くもなく、いつでも食べたいものが食べられる所だそうである。年がら年中、暑さと寒さと飢えに苦しめられていた昔の人たちの願望が込められていたのだと思う。冷暖房完備の部屋に住み、餓える心配のない現代人は、昔の人から見れば、極楽の住人だな。

科学革命以前の世界では、雨ごいの儀式をしたり、人柱を立てたりするといった、おまじない以外には、天候を左右する術を人類は持たなかった。しかし、化石燃料を手に入れ、電気を利用することを覚えた人類の中には、科学技術の力によって、雨を降らしたい、霧を晴らしたい、台風をそらしたいという、尊大な夢を描く人たちが現れ始めた。

『気象を操作したいと願った人間の歴史』(ジェイムズ・ロジャー・フレミング著、鬼澤忍訳、紀伊國屋書店)には、そんな人間たちの悲喜劇が沢山紹介されていて興味深い。日照りに悩まされることが多かった農家の願望を反映してか、雨を降らす話が一番多い。

アメリカの気象学者、ジェイムズ・ポラード・エスピーは19世紀の半ば、雨、雹、雪などは、太陽によって熱せられて上昇した湿った大気が、上空で冷やされ、水分が凝結することで生じるとの理論を提唱して、彼の理論に基づいて雨を降らせることができると説いた。彼の理論は間違ってはいなかったけれど、彼が提唱した具体的な方法はとんでもないものだった。

「アメリカ西部のロッキー山脈に沿って600ないし700マイル(約960ないし1100キロ)にわたり、7日ごとに、20マイル置きに40エーカーの土地で大量の森林を同時に燃やそうというのだ。エスピーの予測によれば、この管理されたシステムの帰結としてありそうな事態は、時計のように規則正しく、穏やかに、安定して雨が降り、それが国全体を潤し、農民や航行者に恩恵をもたらすというものである」(前掲書114ページ)。

幸運にもエスピーの壮大な計画は棚上げされたまま実行に移されなかったが、実行に移されたなら、北アメリカの森林は破壊され、雨が降るという恩恵より、副作用により引き起こされたデメリットの方が多かったに違いない。一部の人たちは環境を改変する際にメリットのことで頭がいっぱいで、デメリットのことを考えたくないようで、実際にとんでもないことが起こった例がある。

最も顕著な例はアラル海の消滅だろう。アラル海は1960年頃までは湖沼面積6800平方キロメートル(日本の東北地方とほぼ同じ面積)を誇る世界第4位の湖だった。天山山脈からシルダリア川の、パミール山脈からアムダリア川の、二大河川の雪解け水が流れ込み、年間降雨量200mm未満の砂漠の中にあり、流出する河川がないにもかかわらず、塩分濃度は海水の3分の1という汽水であった。

そのために淡水産と海水産の魚種が入りまじり、漁業が盛んでサケやチョウザメをはじめとして、年間4~5万トンの漁獲高があった。シルダリア川とアムダリア川の河口の湿地帯にはペリカンやフラミンゴなどの渡り鳥が群れていた。状況が一変したのは旧ソ連時代に、両河川を綿花栽培のための灌漑用水として利用し始めてからである。綿花の収量は上がったが、灌漑設備や灌漑水の利用法が杜撰だったため、灌漑水が両河川に戻ることはなく、1960年を境にアラル海の水位は急激に低下しはじめたのである。

アムダリア川の河口は干上がって、アラル海に水が流れ込まなくなり、塩分濃度は1980年代には海水に近づき、在来魚種はほぼ絶滅した。高濃度の塩分に耐性のあるカレイを導入することで、漁業は細々と続いたが、塩分濃度の上昇は止まらず、漁業はほぼ壊滅して、9割の漁民はこの地を離れ、いくつもの村が廃村になった。干上がった湖底から砂嵐が舞い上がり、塩分や有害物質が住民の健康を害している。

大きな湖は気候を緩和するバッファーとして働くため、1960年に比べて10分の1の面積にまで減少したアラル海の周辺では夏はより暑く、冬はより寒くなってきた。頼みの綱だった綿花栽培も塩害が発生して、収量を減じている。自然は人間の思い通りになるわけではないという典型例である。民主主義国家であれば、アラル海周辺の漁民から損害賠償の訴訟が起こされたに違いないが、独裁国家であった旧ソ連では、責任は有耶無耶になってしまったのだろうね。原発事故を起こした日本でも、責任は結局うやむやにされたまま、またぞろ、原発再開という話が持ち上がっているところを見ると、日本も実は独裁国家なのかもしれない。

人工降雨に話を戻すとして、森林を燃やすというアイデアの次に出てきたのは、空に向かって砲撃を繰り返せば、雨を降らすことができるという説であった。実際にはこの方法は全く効果がないか、あったとしてもごく僅かな雨しか降らせなかったが、日照りで苦しむ農家や行政を騙して、金を巻き上げようと目論む詐欺師にとっては効果があった。その後、人工降雨の方法は徐々に進歩したが、人工降雨は恩恵ばかりではなく、損害ももたらすので、損害を受けた人たちは訴訟を起こすこともあったようだ。(続きはご登録ください)

image by: Shutterstock.com

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