それはともかく、昭和20年8月に日本は敗戦し、厚生年金も壊滅状態でした。
日本の各主要都市は戦争で焦土となっていて、何もない世界となっていました。
そんな中、満州国などの他の国に居た日本人が引き揚げてきて、兵士だった人も帰ってきました。
その数は約700万人。
しかし、何もモノがない日本にそんなに人が帰ってきたらたちまちインフレの猛威が始まりました。物価が100倍、200倍ほどになってしまう。
とてつもないインフレのせいでまだ給付の始まっていない老齢の年金は凍結しました。ただし、遺族年金や障害年金はできるだけ役立てようと、給付を改善したりしました。
戦後は戦争で家族を失ったり、大けがを負った人で溢れかえりましたが、そのような人を保障したのは年金ではなく生活保護でした。昭和21年に生活保護法を制定し、200万人程の人が生活保護を利用しました。
何もかも失った以上、生活保護を受給して生き延びるしかないからですね。
その後は昭和27年4月8日に日本はアメリカから独立し、社会保障の整備に取り掛かる事になります。
老齢の年金はまだ受給者が存在しませんでしたが、昭和29年5月に初めての老齢年金受給権者が発生するので、それまでに厚生年金を再建する必要がありました。
戦前からあった厚生年金は給料に比例した一本の年金でありました。
報酬比例部分のみの年金だったわけですね。
でも、そうなると所得が低い人には年金が低く、所得が高い人には給付が高くなり、その時は厚生年金に税金も入っていたから、税金においても高所得者に厚いものとなってしまいました。
それじゃあ社会保障としてはおかしいよねという事になって、報酬比例だけでなく厚生年金の中に最低保障する部分を作りました。
それが「定額部分」という年金でした。
どんなに年金が低くても、定額部分の年金で最低保障して、その上に報酬に比例した年金を支払おうと(最低保障額は当時の生活保護基準額が参考として使われました)。
本当は報酬比例部分無くそう!という声もありました。
なぜかというと会社が退職金払うから報酬比例部分は不要という事でした。
会社は退職金負担してるんだから、年金は最低保障部分だけでいい!と経営者側は反発しました。
しかしながら、保険料は報酬に比例した保険料支払ってますよね。10%保険料なら、100万円の給料の人は10万円を負担して、500万円給料の人は50万円負担する。
なのに年金はみんな平等に最低保障額だけというのは、不公平になってしまう。
よって、昭和29年改正では厚生年金に最低保障の年金を持ちつつ、報酬に比例した年金を支給するという2階建ての内訳を持つ年金となったわけです。
厚生年金の始まりは、「報酬比例部分のみ」でしたが、昭和29年に「定額部分+報酬比例部分」となりました。
その後は昭和61年4月からの年金大改正で定額部分は廃止となり、その後継者として国民年金から老齢基礎年金が支払われて、その上に老齢厚生年金(報酬比例部分)が支払われています。
なんで同じ老齢の年金なのに、わざわざ2階建ての年金の内訳になってるのかというと、昭和29年の改正の時の影響なんですね^^
この2階建ての形が、70年ほど経った今も公的年金のベースの形となっています。
それでは今日はこの辺で。
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