わかりづらい日本の年金制度。国民年金と厚生年金の2階建てにした理由とは

 

そういえば昭和17年6月というのは日本が戦争での敗戦への転換期となったミッドウェー海戦があった時でもあります。

それまでは日本は無敵の強さで各アジアを植民地化して支配していたアメリカ、イギリス、オランダ、フランスなどの欧米列強を倒していきました。正直、アメリカ以外は日本の敵ではありませんでした。

しかしアメリカ軍とのミッドウェー海戦での大敗でその後、日本は運命が狂い始めます。

日本は大敗したけど、日本本土では相手の戦艦を沈めた!という様な勝ったような間違った情報を流していて、国民は騙されていきました。

日本は昭和17年6月5日のミッドウェー海戦で主力艦やベテランの精鋭兵士を失って、以後負け続ける事になりますが、同じころに労働者年金保険法を始める事により、国民の士気上昇を狙った。

その後、昭和19年10月には厚生年金保険として事務系の男子や、女子にも保険が適用されるようになりました。

当時は女子に年金保険をかけるとは何事だっ!って話でしたが、戦時真っただ中で女子も戦争に協力するために各軍需工場などに徴用されました。

徴用期間は約2年だった。

女子を年金に加入させるなんてけしからん!と思われたのは、女子が長い事働くというような時代ではなったので、最低でも20年は加入する必要があった厚生年金に女子を加入させると保険料の払い損になってしまう危険があったからです。

さて、東条英機首相がサイパンをアメリカから守れなかった責任で昭和19年7月に小磯国昭内閣となり、その後サイパン陥落でついに日本本土が空襲の的になってきました。

昭和19年10月というのはあの有名な神風特攻隊という戦法が取られ始めた頃でしたが、より一層国民の士気を高めるために厚生年金保険法の給付条件を良いものにしました。

当時特に問題だったのは脱退手当金でした(年金貰う期間満たさない人に今までの保険料返すみたいな制度)。

先ほど言ったように女子の勤労動員(女子が工場労働に従事する)として働かされ始め、その徴用期間が2年間でした。

しかし、脱退手当金は3年以上の被保険者期間が無くてはいけなかったので、不満が強くなり、厚生年金保険法に改正した時に脱退手当金は6ヶ月加入で貰えるようにしました。

ちなみに学校に通っていた男子は学校の指示で、学校に在籍のまま民間軍需工場で軍需生産に従事した学徒動員がいました。

でも人手が足りなくて、仕方なく14歳から25歳までの独身女性が女子挺身隊として、病院の看護業務や民間軍需工場で軍需生産などに従事しました。

男子には学徒「動員」という言葉を使っていましたが、女子には動員という言葉が使えなかったため「挺身隊」という言葉が使われました。

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なお、従軍慰安婦という在りもしなかった事があったかのように現在はなっていますが、挺身隊を従軍慰安婦と混同されてたりします。

全く関係が無く、違うものであります。

そもそも従軍というのはキチンとした地位のある軍属であり、それに慰安婦とかいう言葉をくっつけてる事自体おかしい。

南京大虐殺とか従軍慰安婦のような無かったものをあったようにされ、宮澤喜一元首相の時に近隣諸国条項(教科書作る時は他の国に配慮するねって事。外国に検閲を認めたような悪質なもの)によりこんな事が学校の教科書に載るようになってしまった。

教科書という日本の問題なのに、中国やら韓国のお伺いを立てるようになってしまった。

政府が謝罪外交という何の国益にもならない事をやり始めたのも、昭和56年のこの教科書に関しての問題が始まってからであります。

 

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