志ん生と酒にまつわるエピソードをもう一つ。
太平洋戦争末期、志ん生は慰問で満州を訪れました。内地よりも食糧事情が良い、つまり酒が飲めると聞いたからです。ところが、日ソ中立条約を破棄してソ連軍が攻め込んで来ました。志ん生は這う這うの体で逃げ、親切な中国人に匿われました。中国人は志ん生が酒好きと知り、ウオッカを6本くれます。その際、大変に強い酒だから、一日1本までしか飲んではいけない、それ以上飲むと死んでしまう、と釘を刺しました。
その言葉に従い、3本までは日に1本ずつ飲んでいた志ん生でしたが、4本目を飲んでいる時、このまま日本に帰れなきゃ落語はできない、落語ができなきゃ死んだ方がましだ、と前途に絶望し自殺を図ります。
自殺の方法はいかにも志ん生らしく、ウオッカのがぶ飲みでした。酒で死ねるのなら本望だと、中国人の忠告を無視して3本を飲み干してしまいました。
結果、猛烈な二日酔いには悩まされたものの、命は無事、幸いにして日本への引き揚げ船に乗ることができました。博多港に着いた志ん生は無事を心配する奥さんと家族に電報を打ちます。
「〇日帰る、酒頼む」
生還した志ん生は超売れっ子の落語家となってゆきました。(メルマガ『歴史時代作家 早見俊の「地震が変えた日本史」』2022年1月7日号より一部抜粋。この続きはご登録の上、お楽しみください)
歴史時代作家 早見俊さんの「地震が変えた日本史」メルマガ、詳細・ご登録はコチラ
image by: Shutterstock.com
ページ: 1 2