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厚生年金が年間100万円以上増額になるケースも。長期加入者の「44年特例」とは

会社勤めの方たちが加入している厚生年金。しかし、一言で厚生年金をいってもさまざまな制度が存在しているため、その隅々まで熟知している人は少ないのではないでしょうか。今回のメルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座』では著者で年金アドバイザーのhirokiさんが年金制度の歴史を解説。そこから絶対に知っておくべきある制度について紹介します。

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高度経済成長を支えた当時の労働者と、彼らへの年金の増額

現代は大学に入学する人が大半を占める時代ですが、ひと昔前はそうではありませんでした。

大学に進学する人は一部のエリートくらいでした。特に戦前とかはですね。

大学に通わせるほど所得が無いという人も多かったので、中学卒業したらすぐに働きに出るという事が一般と考えられていました。

昭和30年になると日本には高度経済成長が訪れ、平均年率10%を超える経済成長を見せました。この高度経済成長は昭和48年の石油危機が来るまで続きました。

なぜ高度経済成長が起こったかというと、キッカケは昭和25年6月25日に起こった朝鮮戦争でした。

朝鮮戦争は共産軍の北朝鮮が下の韓国を統一するために、突然韓国に攻め込んできた戦争です。

この戦争で300万人程の人が犠牲になりました。

朝鮮戦争が始まった時に、日本に駐留していた米軍が韓国の助っ人に出動していきました。(在日米軍が日本をお留守にするから、その間の隙をソ連に突かれるとマズいのでマッカーサーの命令で日本に自衛隊を作らせた。最初は警察予備隊という名で、昭和29年に自衛隊が出来た。その後は自衛隊と憲法で戦力について揉め続ける事になる)

このまま共産勢力が韓国に南下して占領されると、その目と鼻の先の日本が危機に瀕する事になるからです。過去の日露戦争(1904年)なども日本に南下してくる強大なロシア勢力から日本を守るために起こった戦争です。

さて、朝鮮戦争で北朝鮮軍と戦う米軍が日本から物資を買うわけです。

そうすると日本のモノがものすごく売れるから景気が大幅に回復していったんですね。これを朝鮮特需という。朝鮮特需のお陰で日本は大量のドルを手に入れました。

朝鮮戦争が停戦したのは昭和28年ですが、その後は日本は手に入れた大量のドルでアメリカから最新の製品を輸入しまくり、民間設備投資を充実させていきました。

アメリカから大量に輸入して、最新の設備やインフラを整えていく事で経済発展の基礎を築き始めるようになります。

日本はアメリカに商品を沢山輸出して好景気になったというのは設備投資を整えた後の昭和40年代に入ってからです。

昭和30年代は先ほどのように輸入による経済活性化でしたが、輸入で力を蓄えた後に大量に高品質の製品を生産して輸出で利益が上がっていくようになります。

お陰様でアメリカとは貿易摩擦でよく問題になりましたね^^;

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さて、高度経済成長に入ると、農村部から都市部への集団就職というのが見られるようになりました。

工業化が進んでいったため、多くの労働力が必要となり、その労働力を確保するために大量の労働者が都市部に就職しました。

集団就職していった人々を金の卵と呼び、彼らは中学を卒業すると早速地方から都市部へと移っていきました。昭和30年代から昭和40年代ごろに中学を卒業した人はそういった集団就職した人が多くいました。

大量の労働者が都市部へ集まってきたので、都市の過密化と地方の過疎化、そして核家族化の進行が問題となっていきました。

農村で働くよりも、都市部へ出て働いたほうが収入になるので、特に男子は都市部へ移り住んで働きました。農村部に残ったのはじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんとなり、これを三ちゃん農業と呼ばれました。

子供が都市部へ行ってしまう事で核家族化が進むと、残された親は自分自身の老後が心配になってきます。

それまでの家族の在り方だった親子三世代の形が薄れていったからです。

長男は実家を継ぐ事で、老後の親の面倒を見てくれていた親子三世代の機能が失われる事で、一体私の老後はどうしたらよいのか…という不安が大きくなっていきました。

その不安が昭和33年の総選挙に反映されて、国民年金の創設が最大の目標となったわけです。

岸信介内閣の時の自民党が勝利し、国民年金は昭和34年4月に創設されて、保険料を支払う形は昭和36年4月から始まりました。

昭和36年4月からはサラリーマンや公務員以外の人も、年金に加入して将来は年金を受給する事が出来るようになったわけです。これが国民皆年金の始まり。

老後の面倒を見てくれるはずだった子供が都市に出ていったから、国が私たちの面倒を見るようにしてほしいという思いが国民年金の創設に繋がったんですね。

国が年金で老齢の親の面倒を見るから、子供は自分の事を中心に考えて好きなように生きる事が出来る。

もし年金が無ければ子供が毎月10万円とかそのくらいを自分の給料から支払わないといけない。

自分の両親の面倒は家族が負担するという形が、年金制度が整備される事で、現役世代みんなで保険料を出し合って老齢の人の面倒を見ようねという形に変わったわけです。

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話を戻しますが、そのくらい前の人は中学を卒業して早々と就職していったので、厚生年金加入期間が結構長い人が多いです。

現代のように大学進学する人が多数派になると、厚生年金に加入し始めるのは22歳以降となるのでとりあえず60歳まで加入したとしても38年となる。

逆に中学卒業して15歳年度末以降にすぐ働くとなると、60歳までですでに45年もの厚生年金期間がある事になります。

もうそれ以上働かなくてもいいんじゃないかってくらいの厚生年金期間なんですが、そのような人には厚生年金額を有利にする特例が設けられています。

それを長期加入者特例といいますが、44年以上の厚生年金期間があると該当します。(この間の225号の記事に絡めて書いていましたが、あらためてこの記事で示します)

たとえば、今現在65歳前の年金を貰ってる人というのは、厚生年金としては報酬比例部分一本で年金を貰ってます。報酬比例一本のみなので年金額としてはかなり頼りがたいものがあります。

しかし長期加入者特例に該当する人は年金額を有利に計算します。

どんな変化があるのか、簡単に事例で見てみましょう。

(メルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座』1月29日号外より一部抜粋。続きはご登録の上、1月のバックナンバーをご購入いただくとお読みいただけます。メルマガご登録は初月無料です)

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image by: Shutterstock.com

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佐賀県出身。1979年生まれ。佐賀大学経済学部卒業。民間企業に勤務しながら、2009年社会保険労務士試験合格。
その翌年に民間企業を退職してから年金相談の現場にて年金相談員を経て統括者を務め、相談員の指導教育に携わってきました。
年金は国民全員に直結するテーマにもかかわらず、とても難解でわかりにくい制度のためその内容や仕組みを一般の方々が学ぶ機会や知る機会がなかなかありません。
私のメルマガの場合、よく事例や数字を多用します。
なぜなら年金の用語は非常に難しく、用語や条文を並べ立ててもイメージが掴みづらいからです。
このメルマガを読んでいれば年金制度の全体の流れが掴めると同時に、事例による年金計算や考え方、年金の歴史や背景なども盛り込みますので気軽に楽しみながら読んでいただけたらと思います。

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【著者】 年金アドバイザーhiroki 【月額】 ¥770/月(税込) 初月有料 【発行周期】 毎週 水曜日 発行予定

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