未だに終わる様子を見せないロシアによるウクライナ侵攻。そんな時代を反映するように、ファッションの世界にも変化が起きているようです。今回のメルマガ『j-fashion journal』では、著者でファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんが、「戦争とファッション」について語っています。
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ファッションは時代を映す鏡
1.戦争とファッション
ロシアは戦車に「Z」と大書してウクライナに侵攻していった。この頃、ロシアでは「Z」プリントTシャツが販売されていた。さすがに「Z」はロシア国内だけに留まったようだ。
昔なら、「Z」に×を付けたTシャツを身につけて、ロシアに抗議する人も出てきたと思う。しかし、SNSの影響でファッションによる自己主張は難しくなってしまった。どこで撮影されて、炎上コメントと共に晒されるかわからないからだ。
戦争が近づくと「アーミー・ファッション」が流行すると言われている。確かに、ここ7~8年は、「MA-1」や「アーミー」がトレンドとして紹介されることが多い。不景気になって、浮かれた気分が消え、人々の気持ちが荒んでくると、喧嘩や暴力事件が増えてくる。そんな気分にはアーミーが良く似合うのだろう。
そもそも戦争は大不況や大恐慌が引き金になることも多い。不景気になると、暗い色が流行ると言われている。好景気になると、自己主張が強くなり、派手な色が増えるのだ。
2.反グローバル主義のファッション
グローバリズムでは地球は一つと考える。国境なんて必要ない。世界中どこにでも行けるし、どこにでも住める。こうした考えは、国や地域の独自性を否定し、何でも世界標準にすることが正しいと考えている。
ファッションも同様だ。グローバルトレンドに従い、世界共通のファッションを、グローバルサプライチェーンで大量生産し、世界中の店舗で販売するのがファストファッションだ。
日本では、80年代から90年代半ばまでは国内ブランドが人気だった。日本独自のローカルファッションが支持されていたのだ。しかし、90年代半ばから、ラグジュアリーブランドと中国生産の激安ファッションに二極化し、国内ブランドは淘汰されてしまった。
反グローバリズムでは、世界は一つではなく、世界は多様な国や地域の集合体と考える。そして、小さな経済圏で自立したビジネスを展開することが持続可能性を高めることにつながるのだ。
次々とコストの低い国に生産地を移転していくビジネスは、持続可能とはいえない。また、低価格志向は常に安い労働力を求め、結果的に貧富の格差を拡大するので、これも持続可能とはいえない。
本気で持続可能性を追求するなら、無駄のない国内生産が望ましい。安価な商品を大量生産大量消費することは、大量廃棄、資源の無駄遣いにもつながっているのだ。
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3.ゼロエミッションとファッション
「ゼロエミッション」とは、エミッション(排出)をゼロにすること。特に世界は2050年までに二酸化炭素の排出を実質ゼロにすることを目指している。
ポリエステルやナイロンなどの合成繊維は石油が原料であり、採掘、運搬でも二酸化炭素を排出するし、製造工程や最終処理を考えても環境負荷は高い。
コットンは、通常の栽培では大量の合成肥料や合成農薬を使用するため、環境負荷は高い。しかし、無農薬の有機栽培であれば、環境負荷は低くなる。また、綿製品そのものは生分解するので、廃棄に関しては環境負荷は低い。
パルプやコットンリンターが原料のレーヨン、ビスコース等のセルロース系繊維は製造工程において環境負荷は少ないとされている。また、生分解し、焼却しても有毒ガスは発生しない。
合成繊維も天然繊維も染色には合成染料を使用するし、大量の水を消費する。その意味では、昇華転写等のデジタルプリントは水を使わないので、排水処理も必要ないので環境に優しいといえる。
ウールは羊の毛なので、環境負荷は低い。羊は草を食べ、羊の糞は草の栄養になり、循環している。カウチンセーターのように、羊の毛の色をそのまま使えば、染色による環境負荷もなくなる。
しかし、ビーガン(完全菜食主義者)や動物愛護団体等は、ウールに対して否定的である。
環境保護という意味では、麻が有望だ。麻の栽培は土壌改良にもつながるし、肥料も農薬もほとんど必要ない。
リサイクル、古着もゴミを減らし、資源の節約につながるので、環境に優しい。
次から次へと流行を生み出し、大量生産で大量の資源を消費し、大量廃棄で環境負荷を与えている現在のファッションは環境負荷が高い。価格や機能性だけでない環境性能という基準が必要になると思う。
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4.経済不況とファッション
そもそもファッションを楽しむには、ある程度の経済的余裕が必要だ。最低限度の衣食住の生活環境が整備されてから、ファッションへの興味が生じる。
もし、経済不況が人々の生存を揺るがすほどのものになれば、ファッションは消えるのだろうか。
ファッション消費は消えるかもしれない。しかし、ファッションは消えない。
世界中でマスクが消えた時、日本人は布マスクを自作した。縫製工場ばかりではなく、一般の人々が作り始めたのだ。家庭用ミシンが売れ、マスクに使うゴム紐が品薄になった。
一方、世界の工場、中国には布マスクという発想がなかったようだ。彼らは、ブラジャー、ガラス鉢、瓢箪、ナプキン等をマスクの代わりに使用していた。
もし、日本人が経済不況で貧しくなっても、リフォームやリサイクル等、自作ファッションを楽しむに違いない。お金がなくても、ありあわせのモノでアクセサリーを手作りする人は大勢出てくるだろう。
問題は「ファッションを楽しむ心」の有無である。お金があればラグジュアリーブランドを楽しみ、お金がなければ、古着やワーキングウェア、リサイクル等のチープシックを楽しむ。
世界的大不況が到来した時こそ、ファッションセンスが問われるのである。
編集後記「締めの都々逸」
「どんな時でも 己を磨き 明るく微笑む強い人」
どんなにお金がなくても、ファッションはなくならないというのが私の信念です。制服が決まっていても、ソックスの折り方を工夫したり、髪ゴムを工夫するのが日本人だからです。日本人は1,000年以上、着るものを常に意識してきた民族です。そして、流行もあったんですね。流行があるというのは、常に新しいものを求める好奇心があるということです。
その上、服に対して、とても想いが強い。昔は袖を千切って好きな人に渡したり、袖を振る動作で気持ちを伝えたり。きものには魂が宿るので形見になるんですね。
ですから、本来、服は作るものであり、金で買うものではないのです。これは、ヨーロッパ人にも共通する考え方だと思います。米国は新しい国なので、最初から大量生産の服を着ていました。中国も同様です。手作りの服という文化がないんですね。
基本は自分で作る。金がなくても作ればいい。作らなくても、刺繍を入れたり、絵を描いたりすればいい。それで自分のオリジナルになります。ですから、ファッションはなくならないのです。(坂口昌章)
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image by: Oleg Elkov / Shutterstock.com