いずれにしても、この映画は統一教会系の映画として、信者らは認識していました。さて、石原慎太郎氏は、エンドロールに名前を連ねるほどの教団との仲のようでしたが、90年代になって、慎太郎氏への批判が聞かれるようになりました。
ある幹部が「あれはだめだ。言うことを聞かない」と言うのです。 その言葉には(教団からの)恩を裏切ったというニアンスも聞こえていました。
その一方で、同じ選挙区に出馬する新井将敬議員は、統一教会の教えを聞いており、信者らはこちらに投票するように盛んに言われました。その後当選して、彼がテレビ出演する姿を見せられて、教団の政界進出がまた一歩近づいたと思ったものです。
また、同じ“しんたろう”でも安倍晋太郎氏に寄せる教団の期待は、とても大きいものでした。もしかすると当時言われたのかもしれませんが、はっきりしないので、私の考えとして話しておきます。
アベルが、安倍晋太郎氏、カインが、石原慎太郎氏!?
アベル(神近い存在)が安倍晋太郎氏で、カイン(神から遠いサタンに近い存在)石原慎太郎氏らの議員の位置づけだったように思います。
そもそも教義上、神の子になるには、アベルにカインが従わなければなりません。しかし、石原慎太郎氏は、ご存じのように物事をはっきり言われる方なので、もしかするとこうした「教祖の言葉や、教義に従う」ことに対して反発したのかもしれません。
ところが、政治的にアベルの立場にあった安倍晋太郎氏は、91年に亡くなりました。教団関係者の落胆ぶりは、相当なものでした。90年代には、慎太郎氏と教団の関係は破談していたと思われます。ここからは私の想像ですが、彼が教団の本質にある「反日感情」などに気づいたからなのではないかと思っています。
本当に、教団との関係を議員らは断ち切れるのか?
今、議員らが自民党の方針に沿って「旧統一教会の関連団体から一線画す」と口では言っています。本当に、それができるのか、多くの国民が疑問に思っており、それが岸田内閣の支持率低下にもつながっていると思っています。
ある意味、石原慎太郎氏は、教団と手を切ったさきがけではないかと感じています。ご存命であれば、ぜひとも政治家における旧統一関係者との手の切り方などの話を聞きたかったところです。
今後は、過去に教団との深い関係を持っていたけれども、完全に手を切った元信者的議員の見解を聞きたいところですが、果たして、そうした人はいるのでしょうか。
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