日本人を「信用されない民族」に貶めた日本会議
核武装はしても良い。問題は、核兵器の恐ろしさを十分に知って、その取り扱いに十分に慎重であって、その使用を絶対にしないという覚悟があるかどうかということだ。
核兵器は使用できない兵器である。これを最初から使用できる兵器であると考えるような人々は、核戦争を抑止するどころか、核戦争を起こしたがっている人々といえよう。彼らに核兵器を持たせてはならない。
今、日本では、核共有という主張がなされている。仮に日米同盟に基づいて、NATO諸国のように日本と米国の間で核共有がなされても、日本人が核兵器の引き金を持つことはあるまい。それほど、日本人は信用されていないのだ。それは、このような中途半端な運動を繰り返し、使用可能な兵器としての核武装を実現しようとしている日本会議にこそ、その責任があるといえる。
ある程度知性的な外国人が、日本を訪れて、最初に訪問を希望する場所はどこであろうか?それは京都でも、奈良でも、東京でもない。まして富士山や北海道のスキー場でもない。広島・長崎である。核兵器が多くの国々に配備され、人類に極めて身近なものとなった今、人々は、核兵器の威力とその結果を知ることに熱心となっている。
今、私は、ロータリークラブのプロジェクトの一つとして、広島・長崎のミニ博物館をイスラエルに作ることを試みている。それが完成すれば、全世界の国々に、ロータリーの力で、同じような施設を作っていきたい。今、核兵器の恐ろしさ、一旦全面核戦争が起きれば勝者は誰もいないという事実を全世界の人々に知ってもらうことが必要であると考えるからだ。全世界の人々がその事実を知った後にこそ、使用できない兵器としての核兵器の廃絶が本格的に話し合われるようになるだろう。
核戦争の抑止は、核廃絶の運動と一体となって行われなければならない。そうでなければ、平和は絶対にやってこない。その意味で、漫画『はだしのゲン』や「第五福竜丸」の記事が削除されることは逆方向である。
直ちに元へ戻し、更に加筆して核兵器の恐ろしさを全ての日本人に伝えるべきである。
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