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タワマン住まいが危ない。高層階を揺らす「長周期地震動」の階級

東日本大震災発生時には、震源から遠く離れた大阪や新潟でも確認されたという「長周期地震動」の被害。そんな長周期地震動が、2月1日より緊急地震速報の対象に追加されたことをご存知でしょうか。今回のメルマガ『富田隆のお気楽心理学』では著者で心理学者の富田隆さんが、気象庁が策定した長周期地震動の4つの階級の目安と、自身が東日本大震災で体験した「長周期地震動階級3強」の揺れの様子を詳細に紹介。その上で、地震大国に住む私たちに可能な限りの備えを呼びかけています。

12回目の「3.11」を前に振り返る「長周期地震動」の恐ろしさ

今年も3月11日が廻って来ます。東日本大震災のあの日、東京23区では震度5強、多摩地域では震度5弱の揺れに襲われました。

我が家のある多摩センター周辺では震度5弱でしたが、幸いなことに、被害は、食器棚からガラスコップが1個転がり落ちて割れただけでした。ところが、同じ多摩地区にありながら、当時私が奉職していたK女子大の研究室は大きな被害を受けました。

その差が生じた理由は「長周期地震動」にあります。「長周期地震動」は高層ビルなどに強い影響を与えるのです。最近、気象庁では、この「長周期地震動」を4つの階級に分け、階級ごとに高層ビルの室内がどのような状態になるか、おおよその目安を策定しました。階級が上るごとに室内の状態は厳しくなり、被害も起こり易くなります。

気象庁の発表した目安は、およそ以下のようになります。

■長周期地震動階級1

ブラインドなどの吊り下げた物が大きく揺れ、ほとんどの人が揺れを感じ、驚く人もいる。

■長周期地震動階級2

キャスター付き什器がわずかに動き、棚の食器類や本などが落ちる事がある。室内の人は大きな揺れを感じ、何かにつかまりたくなる。物につかまらないと歩くことが困難になるなど行動に支障が生じる。

■長周期地震動階級3

キャスター付き什器が大きく動く。固定していない家具は動くことがあり、不安定なものは倒れることがある。間仕切り壁などにひび割れや亀裂が入ることがある。室内の人は立っていることが困難になる。

■長周期地震動階級4

キャスター付き什器が大きく動き、転倒するものが出る。固定していない家具の大半が移動し、倒れるものもある。間仕切り壁などにひび割れや亀裂が多くなる。室内の人は揺れにほんろうされ、立っていることができず、這わないと動くことができない。

上記の「階級」分類に合わせると、私の研究室の状態は「長周期地震動階級3強」だったようです。

書棚の本は全て落下し、固定していなかった書棚と食器棚は倒壊、壁の額は落ちて割れ、電子レンジは1メートル吹っ飛んでステンレスのシンクに落ち、凹み傷を作りました。ティーカップなど食器のほとんどは落下して割れました。あちこちの壁に亀裂が走りましたが、その数はわずかでした。最初は歩けましたが、最大震度の時は壁につかまって立っているのがやっとでした。

ただ、研究室によっては、間仕切り壁に固定してあった鉄製の書棚が倒れて折れ曲がりました。書棚を固定してあったアンカーが壁を破って引き抜けたのです。

私の研究室では、固定してあった書棚そのものは無事でしたが、いくつかの研究室の固定書棚は上記のような惨状を呈していました。仮に、書棚の近くに人がいれば、とても無事では済まなかったでしょう。

その日は春休みで授業も無く、多くの先生方は研究や学会で大学を離れていました。登校して教授の研究室を訪ねていた学生の数も少なく、そのことが負傷者ゼロの幸運につながりましたが、もし、通常の授業期間であれば、多くの負傷者が出ていたかもしれません。

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私が地震の揺れを最初に感じたのは、コンピュータに向かって、何かを書いている時でした。

嫌な予感がしたので、コンピュータを止め、ドアを解放の状態でストッパーで固定して廊下に出ました。その間に揺れは大きくなり、まるで船に乗っているような感じになりました。

窓の外を見ると、電車などに乗っている時のように景色が左右に移動しています。景色の移動の幅が大きかったことから、自分のいる大学棟が大きく揺れていることが分かりました。

よろよろしながらエレベーターの前まで移動して、壁につかまり、何とか立っていると、眼の前の壁の天井に近い部分から亀裂が30センチほど下に走るのが見えました。

「このビル、崩れるんじゃないだろうか」などと他人事のように考えながら、周囲を見回していると、ドアのストッパーが揺れではずれ、ドアがゆっくり閉まりました。大きな揺れが続いていると、楔型のドアストッパーは役にたちません。

サッシのガラス戸なども鍵を閉めておかないと、繰り返される揺れで戸が動き、完全に開いてしまいます。鍵を閉め忘れた先生方の窓は、地震の間に全開となり、風にカーテンが翻っていました。もし、窓際に鉢植えなどを置いていたら、落下による被害も起きたでしょう。

ドアが閉まった直後、私の研究室から物が落ちる音が聞こえ、やがて、次々に、固定していなかった書棚や食器棚の倒れる音が聞こえて来ました。食器棚の倒壊音が一番盛大でしたが、その頃には、建物全体からたくさんの物が落ちたり倒れたりしている音が響いて、この世の終わりめいた雰囲気を醸し出していました。

揺れが終わってから気づいたことですが、この時、研究室の中では、倒れた書棚などが内側からドアを塞ぎ、中に入れない状態になってしまいました。間抜けなことに、私は部屋から閉め出され、コートを取りに戻ることもできなくなったのです。さらに、落下した電子レンジが水道栓を押し下げ、水が噴き出していました。

結局、人力ではドアを開けることができず、翌朝、理事長の許可を得て、自動車のジャッキでドアを開け、ようやく中に入ることができました。研究室のスチールドアには、今でもジャッキの傷が残っているはずです。

それにしても、あのような揺れは初めての体験でした。起震車の体験とも明らかに違いました。ガタガタとした細かい揺れではなく、比較的ゆっくりと左右に振られます。例えるなら、「嵐の中の大型船」といった感じの揺れなのです。

やがて、揺れが次第に治まり、倒壊音などが聞こえなくなると、ようやく歩けるようになりましたが、船酔いの時のような怪し気な歩き方だったのを憶えています。もう床は動いていないのに、まだ揺れが続いているかのように感じたのです。同じ階の研究室から先生方や学生さんが10名ほど出てきましたが、皆、おぼつかない歩き方でした。

私たちは、日頃の訓練通り、グラウンドに集合しました。途中、階段は各階ごとについている防火扉が自動的に閉まっていたので、防火扉に付属している小さなドアを開けて階段に出なければなりませんでした。

そんなわけで、私たちは「命からがら」上の階から降りて来たのですが、一階の事務室が何事も無かったかのように普段通りで、全く無傷だったのには驚きました。職員の皆さんも、ケロリと落ち着いています。

それに、室内も、ディスプレイひとつ倒れた様子は無く、書類などが棚から落ちた形跡もありません。ですから、一階で仕事をしていた職員さんたちは、上層階の惨状を音でしか知らないのです。

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研究室や会議室、トイレなどに怪我人が取り残されているかもしれないので、職員さんたちを案内して引き返し、各部屋をくまなくチェックして廻りました。上層階の被害状況を見ると、さすがに皆、驚きを隠せませんでした。そして、全員が無事避難したことを確認し、これだけの物的被害の中で、一人の負傷者も出なかったことに、一同感謝しました。

研究室のある大学棟は7階建てでしたが、地下の2階分がドライエリアで囲まれているため、実質的には9階建ての構造になっていました。そして、いわゆる「柔構造」の設計になっていたのでしょう。ビル全体の躯体は地震のエネルギーを逃がして無事でしたが、その分「長周期地震動」で上層階ほど大きく揺れました。

たまたまその時、友人の先生が屋外にいて、地震発生時に大学棟を見上げると、「まるでプリンか何かのように」ビル全体がクネクネと揺れていたそうです。

長周期地震動の波長とビルの構造がマッチすると、震源から離れた震度の小さな地域でもビルが大きく揺れることを、私は身をもって体験しました。もっとも、新宿の高層ビルで仕事をしていた知人は、もっと酷い目に遭いましたが…。

その後、学生の点呼を終え、登校中の学生が意外に少なかったことも確認できたので、一同は取りあえず寒いグラウンドから暖かい食堂へと移動しました。K学園は災害に備え、全在学生分の毛布や非常食糧を備蓄してありましたから、交通機関は麻痺しましたが、宿泊の心配はありませんでした。その日、大学に宿泊した教員や学生の話を聴くと、ちょっとした「ゼミ合宿の気分」だったそうです。

そして4時前には、理事長以下教職員一同は、本部(全く無傷)に集合していました。そこで目にしたテレビの大画面には、被災地上空を飛ぶヘリコプターからの映像が映し出されていました。

生の中継映像でした。

墨のように黒い津波が、まるで奇怪な生き物のように平地を進んで行きます。不気味な黒い津波に、次々に車が飲み込まれ、人が飲み込まれて行きます。私たちは、呆然として言葉も無く、この非現実的な恐ろしい光景をじっと見つめていました。

その後、学会出張などで研究室を留守にしていた先生方が次々に帰って来ました。皆、あまりにも変わり果てた研究室の姿に、しばらくは立ち尽くしていたものです。中には、トラウマを抱えて鬱(うつ)状態になり、母国のアメリカに1年以上帰ってしまった先生もいました。

そして、大変だったのが後始末。ボランティア無しで研究室の後片付けをするのには、およそ10日を必要としました。各研究室から出た廃棄物の山が、しばらくは廊下を占拠していましたが、それでも何とか、新年度には間に合いました。

3月11日は、私の息子の誕生日です。震災で、お祝いの夕食も吹っ飛んでしまいました。それに加えて、その年の月末には、かねて入院中だった父が亡くなりました。研究室の後片付けが終わってすぐに、私たち家族は父を送り出すことになったのです。

震災死の影響で、公営の火葬場には空きがありませんでした。仕方なく、それなりのお金を用意して、何とか私営の火葬場を見付けてもらったのを憶えています。

4月早々、葬儀を終えた翌日には、大学の入学式やオリエンテーションが始まりました。こうした新年度の行事も、「余震対策」で講堂が使えないといった具合の異例続きで、教職員は調整に追われました。私は、自分の喪失感を心のどこかに封印したまま、忙しさに紛れていました。

この時の妙な複合トラウマは、今でも未消化のまま心のどこかに引っ掛かっています。

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長々とした昔話に付き合せてしまい、申し訳ありません。ただ、地震大国の日本に暮らす以上、ある種の「覚悟?!」は誰にとっても必要なものなのかもしれません。

東日本大震災では、東北地方を中心とする地震や津波の被害、そして、その後の原発事故の被害があまりにも大きく、尊い人命もたくさん失われました。その衝撃があまりにも大きかったため、東京をはじめとする全国のビルで発生した「長周期地震動」の被害については印象が薄く、今や忘れ去られた感があります。それは自然なことなのかもしれません。しかし、こうした記憶にも大切な教訓が含まれています。

なぜなら、「長周期地震動」は極めて今日的な問題でもあるからです。この12年の間に、高層ビルの数は、恐ろしい勢いで増え続けました。貴方のお知り合いでも、タワーマンションにお住いの方がいらっしゃるのではないですか?高層ビルで働いている人の数は、さらに多いかもしれません。

気象庁が今、「長周期地震動」に関する「階級」を整理して発表した背景には、それなりの危機意識が存在するからに違いないのです。その被害の特徴は、震源域から遠く離れていても起こるということ、したがって、被害の発生する地域が広範囲に拡がるということです。東日本大震災の時には、遠く離れた大阪でも高層ビルで被害が起きました。

そして、南海トラフ巨大地震か、はたまた首都直下型地震か、いずれにせよ、何らかの危機が近づきつつあるということは、残念ながら間違いありません。トルコ、シリアの震災は他人事ではないのです。今の内に、可能な「備え」をしておきましょう。

(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』より一部抜粋)

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