坂本龍一氏から届いたメール。原発事故の後に世界的音楽家から頼まれた事

Venice,,Italy.,03,September,,2017.,Ryuichi,Sakamoto,Attend,The,'ryuichi
 

日本を代表する音楽家として、常に世界のミュージックシーンをリードし続けてきた坂本龍一氏ですが、彼はまた社会活動家としての顔を持ち合わせていたことも広く知られています。そんな坂本氏から直接メールを受け取った経験を持つのは、人気ブロガーのきっこさん。きっこさんは今回の『きっこのメルマガ』で、福島第一原発事故の数カ月後に届いたというそのメールの内容を明かすとともに、坂本氏が音楽活動以外の行動を起こし続けてきた理由を考察しています。(この記事は音声でもお聞きいただけます。

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坂本龍一さんから届いたメール

疲れが溜まっていたあたしは、4月2日の日曜日、晩ごはんを食べてすぐに、夜8時頃には寝てしまいました。そして、ハッと目が覚めると、日付けの変わった深夜2時でした。あたしは基本的にショートスリーパーなので、6時間も寝れば十分なのです。そして、せっかく目が覚めたのだから朝まで原稿書きをしようと、PCを立ち上げ、ラジコでNHK『ラジオ深夜便』を選局しました。すると、ちょうど深夜2時のニュースが始まり、坂本龍一さんの訃報が伝えられたのです。

あたしは、あまりにも突然の訃報に、自分がまだ寝ぼけているんじゃないのか?と思い、急いでネットニュースを見ると、それは事実でした。坂本龍一さんの訃報は、4月2日の夜に報じられていたようですが、早く寝てしまったあたしは、この時まで知りませんでした。

1月11日に70歳で亡くなった高橋幸宏さん、1月29日に74歳で亡くなった鮎川誠さんに続き、坂本龍一さんも71歳という若さで3月28日に亡くなってしまったのです。あたしは、坂本龍一さんが癌で闘病中だったことは知っていましたし、そうとう厳しい状況であることも報道レベルで知っていました。でも、高橋幸宏さんの時もそうでしたが、どれほど厳しい状況だと聞かされても、「絶対に元気になって帰って来る!」と信じているファンにとって、訃報は常に「突然」です。

あたしは、悲しさよりもショックが大きく、とても原稿どころではなくなり、次々と流れて来るニュースやいろいろな人のコメントを読み続けました。スポーツ紙などのWEBニュースの多くは、坂本龍一さんの音楽家としての功績を讃えるだけでなく、反原発や辺野古の新基地反対、喫緊では神宮外苑の再開発を考え直すように小池百合子都知事に手紙を送ったことなど、平和や環境に対する活動家、言論人としての一面にも触れていました。

あたしが初めて坂本龍一さんからメールをいただいたのは、12年前、福島第1原発事故の数カ月後でした。2012年から『NO NUKES』という反原発をテーマにした音楽イベントを開催するので、メッセージを依頼したいという内容でした。あたしは、福島第1原発事故の何年も前から、反原発の集会やデモなどのアクションに参加したり、原発や再処理施設に反対するエントリーを『きっこのブログ』で発信していたので、それを見ての依頼でした。

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