「本物」だから為せる技。なぜ坂本龍一氏の作品は世界で通用するのか?

Berlin,,Germany,-,February,24,,2018:,Japanese,Musician,,Composer,And
 

3月28日、71歳の生涯に幕を閉じた坂本龍一氏。天才音楽家の早すぎる死に際して、世界中から哀悼の声が上がっています。そんな坂本氏が2010年に行った北米ツアー初日に立ち会うことができたというのは、米国在住作家の冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で今回、そのコンサートの模様を詳細にレポーするとともに、坂本氏の音楽世界がこの先も永遠に残っていくであろう理由を記しています。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2023年4月4日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

追悼、坂本龍一。時間の「非可逆性」へのささやかな抵抗

団塊世代でも下の方に属し、自分たちにとってはほぼ同時代を生きた世代の訃報というのは、かなり辛いものがある。坂本氏に関しては、かねてより難しい闘病の中におられると聞いており、一種の心の準備は出来ていた方も多いと思われるが、実際に訃に接するとなると、やはり痛苦の思いが募る。

坂本氏に関しては、2010年10月の北米ツアー、その名も「ノース・アメリカ・ツアー」に際して、フィラデルフィア近郊のレンサイドという小さな街にある、ケズウィック・シアターで、ツアーのスタートの場に立ち会うことができた。その際に記した記録をベースに、それをこのコラムに合うように再編成しつつ、感慨を整理させていただこうと思う。

この全米ツアー初日だが、私の住むニュージャージー中部からも近いので、このコンサートを選んだのだったが、そのチョイスは正解だった。ホールは、82年の歴史のある音響効果の素晴らしい劇場であり、そこに多くの音楽ファンが詰めかけており、良い雰囲気のコンサートとなっていたからだった。何といっても、アメリカの音楽コンサートでこんなに聴衆が集中していたというのは珍しい。

ニューヨークの、カーネギーホールやエブリー・フィッシャーホール(現、デビト・ゲフィン・ホール)などでは、かなり厳粛なクラシックの曲目でも、咳の音だけでなく話し声やプログラムをめくる音などのノイズは諦めて掛からないといけないのだが、この時は、そうした問題はなかった。途中ちょっと、外部のサイレンの音が聞こえたりもしたのだが、それはご愛敬というものだろう。

私は坂本龍一氏のそれほど熱心な聞き手ではなかったが、このコラムでも取り上げた亡くなった浅川マキさんの伝説のライブ盤『灯ともし頃』でオルガンを弾いておられた印象や、大貫妙子さんのソロ・デビュー・アルバム『グレイ・スカイズ』でスタインウェイのピアノを駆使していた印象は鮮烈なものとして記憶していた。

一方で、その後の作曲家として、あるいはテクノポップやロックでの成功などについては、少し遠くから見ていた観がある。そうではあるのだが、ほぼ完全な「ピアノ・ソロ」でまとめられたこの時のコンサート体験は、ダイレクトに70年代の天才キーボードプレーヤー坂本龍一との出会いを想起させ、30年以上の歳月を結びつけてくれたようにも思ったのは事実だった。

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