親子3人で破滅を選択。ススキノ“首切断”と市川猿之助事件という「2つの闇」

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社会を震撼させ、そして大きな衝撃を与えたススキノ“首切断”事件と市川猿之助一家心中事件。なぜ彼らは「破滅の道」を選んでしまったのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、「仮説」として考え得る2つの原因を提示。その上で、両事件が処罰だけで済まされるべきではない理由を記しています。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2023年8月8日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

ススキノ“首切断”事件と猿之助一家心中事件に共通するもの

札幌のススキノで中高年の男性が殺害されて頭部を持ち去られた事件、歌舞伎俳優の市川猿之助(四代目)丈が父親の段四郎(四代目)さんと母親の3人で心中を図り、猿之助さんが生き残った事件については、どちらも、事件の詳細、特に動機の部分は全く解明されていません。

また、2つの事件は一見すると性格が異なります。札幌の場合は、定職につかず人間関係も限定されていた独身の長女が、男性と恐らくは異常な関係を持ってしまったと考えられます。そこで親子3人が自分たちが破滅しても構わないほどの恨みをその男性に抱いたというのが、現在推測できるストーリーです。

猿之助さんの場合は、パワハラ、セクハラの暴露に加えて、性的傾向に関するアウティングの被害に晒される中で、一門の将来を親子3人で悲観したということのように見えます。ですから、事件としては全く別のニュアンスで受け取られていると思われます。

ただ、親子3人が話し合いの上で破滅を選択したということでは、この2つの事件は見事に共通しています。

札幌の事件の場合は、仮に長女が性的に逸脱行動に出ていたとして、常識的にはそれは幼稚な衝動であっても、性的成熟による親の保護からの独立というニュアンスを伴うはずです。また、同意のないまま理不尽な行為の被害にあったのなら、本人が告発をし、両親はそれを支援するという話になりそうです。

一方で、猿之助さんの場合は、アウティングに関しては激しく抗議しつつ、パワハラ、セクハラの部分は謹慎や、場合によっては立件されるにしても、粛々と責任を取るのが筋でしょう。

ですが、この2つの事件では、そのような正々堂々とした行動には至りませんでした。どうして、この2組の親子が社会的に責任ある行動ではなく、破滅を選択したのか、ここからは勝手な想像に基づく仮説としてお話したいと思います。

1つの原因は、社会通念上の「恥」という概念です。猿之助さんの過去の行状に関する週刊誌の暴露、あるいは札幌事件で家に閉じこもっていた長女の特異な行動といったものが、「世間」に晒される、あるいは「世間」との接点を持った場合に、それは「イエとしての恥」だという不思議な「ミニ・ナショナリズム」のような心理状態の暴走を招いた可能性があります。

その負のエネルギー、つまり「イエの恥」を晒すぐらいなら、全員が破滅したほうがマシというのは、一体どこから来るのか、日本のカルチャーの中にそうした闇の部分があるのか、だとしたら、社会としてどう乗り越えていくのか、懸念は尽きません。

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