ウクライナ戦争の裏で燻る「新たな世界の火薬庫」が、別の戦争の“火種”になる日

 

ロシア革命以前に遡るナゴルノカラバフ紛争の芽

まずナゴルノカラバフ紛争ですが、僅か4,400平方キロメートルほどの地域の領有権を巡って長く争われてきています。

その争いの芽はもうロシア革命以前に遡ることができるようですが、ロシア革命後、ソビエト連邦の中央集権国家システムの“おかげ”で、一応は平静を保っていたように思います。

ただ、この時期にアルメニア系の住民の移住が盛んになり、1988年にゴルバチョフ政権下でのペレストロイカで共和国の自治権を拡大する方針が執られたのを機に、アルメニア住民が数にものを言わせてナゴルノカラバフ共和国(アルツァフ共和国)を設立し、実効支配体制を敷きます。

しかし、ここで問題となるのは、国際法上、ナゴルノカラバフ地域はアゼルバイジャン領とされており、それは今も変わりませんが、ナゴルノカラバフ共和国の一方的な設立と自治権の確立を狙っていたアルメニアが戦闘を開始し、アゼルバイジャンと激しい戦闘を行ったのが、1988年から1994年まで続いた第1次ナゴルノカラバフ紛争です。

そこでは100万人超の難民が発生し、双方合わせて3万人を超す死者がでましたが、その際、一般市民の多くも犠牲になったと言われています。

1994年に実質ソビエト連邦の後継者を自任したロシアが仲介し、ビシュケク議定書という停戦合意が結ばれましたが、戦争はアルメニア側の勝利だったがゆえにナゴルノカラバフ共和国の存在は黙認される代わりに、領有権は変わらずアゼルバイジャンが持つという不可思議な内容となりました。

それゆえでしょうか。アゼルバイジャンとアルメニア間で平和条約は締結できず、次第にアゼルバイジャンとナゴルノカラバフ共和国との接触線(軍事境界線)が武装化され、第2次ナゴルノカラバフ紛争が2020年9月に勃発する頃には、世界でも三本の指に入る武装軍事境界線になっていました。

1994年のビシュケク議定書で屈辱的な扱いを受けたと感じているアゼルバイジャンは、バクーの油田の開発を通じて経済力を一気に高めたのと同時に、民族そして宗教的にも近い隣国トルコの支援を受け、軍事力も大幅にupした結果、第2次ナゴルノカラバフ紛争では圧勝し、面目躍如となったのは皆さんもご記憶に新しいかと思います。

私はこの際の停戦合意の作成に関わりましたが、ここでも残念ながら終戦を意味する平和条約は締結できず、その後も、トルコとロシアの平和維持部隊の駐留を受けても、アゼルバイジャンとアルメニア側(ナゴルノカラバフ共和国)の小競り合いは続いていました。残念ながら、2022年2月24日以降は、ロシアによるウクライナ侵攻を機に、欧米諸国の関心が失われることにつながり、効果的な抑止力は働かない事態に陥りました。

その結果、ウクライナ戦争に忙殺されているロシアも欧米諸国も手出しできないと判断したのか、アゼルバイジャン側が今年9月19日に一気にナゴルノカラバフ共和国を攻撃し、次の日にはアルメニア側の全面降伏と武装解除を受けて、一応武力衝突は終結し、9月28日には9月1日付でナゴルノカラバフ共和国の大統領になったサンベル・シャラフラマニャン氏が「2024年1月1日をもってすべての行政機関を解散する」と宣言したことで、アゼルバイジャン側の全面勝利に終わりました。

これで【ナゴルノカラバフ紛争はついに終結し、幕を閉じる】という見込みが示されました。

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