世阿弥以降、能は武士の嗜みとなりました。
室町時代ばかりか江戸時代も歴代の将軍、大名は能を観賞し、自らも舞いました。また、江戸の大名藩邸には能舞台が設けてありました。特に五代将軍徳川綱吉は大の能好きで、しばしば能を披露するのを楽しみとしていました。
綱吉は度々、大名藩邸を訪れたのですが、訪問目的は自分の能を見せたかったのです。ところが、決して上手ではなかったとか。満足するのは本人ばかりで鑑賞させられる者たちは苦痛の時間でした。落語好きの読者なら、「寝床」に登場する義太夫好きの旦那を思い浮かべることでしょう。
大名藩邸の宴がたけなわとなったところで、おもむろに大名は、「上さま、畏れ多いことにござりますが、能をひとさし舞っては頂けませぬでしょうか」と頼みます。綱吉は、「余の能なんぞは披露するほどのものではない」と一応は断ります。
ここで大名は引き下がってはいけません。七重の膝を八重に折らんばかりになって、「当家末代までの語り草に致しとうございます」と懇願します。綱吉は、「そこまで頼まれればむげにもできまい」と持参の能衣装に着替え、颯爽と能を舞ったのでした。
もちろん、能の間、居眠りなど論外、あくびをしようものならどんなお咎めがあるかわかったものではありません。大名以下家臣たちも綱吉の従者も必死で能を観賞したのでした。
綱吉が能を披露する時、誰もが、「オー、ノオ!」と内心で嘆いたとか。
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