小池百合子氏が現職の強さを見せた東京都知事選挙。公平性を意識するテレビでは、候補者が多いことも影響してか、選挙期間中に政策議論がなされることはほとんどありませんでした。ならばと、各候補の公約を確認しても、知りたいことについて考えが述べられているとは限りません。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』で、生きづらさを抱えた人々の支援に取り組む引地達也さんは、「福祉」「障がい者」の政策が語られなかった選挙を「社会行為として欠陥」と嘆きます。小池氏についても、1期目の選挙から「障がい者」の言葉は含まれていても、焦点を当ててはいないと指摘し、問題視しています。
「障がい者」が消えた東京都知事「選挙」への不信
7月7日に投開票された東京都知事選は現職の小池百合子氏が約291万票を得て3選を果たした。
各選挙管理委員会の開票結果によると、小池氏の得票数は次点の前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏の約166万票に100万票以上の差をつけていることになるが、得票率では小池氏42.77%に対し石丸氏が24.30%。政党の指示を受けずにソーシャルメディアでの知名度が先立つ石丸氏の得票率の高さは、政党を中心にした政治の在り方への反発の表れとして受け止められている。
同時にこの選挙は、石丸氏の躍進や50人以上の候補者の乱立、目的以外の選挙ポスター掲示の問題が目立ってしまい、政策を比較する機会が乏しかったのが寂しい。公約を示し合い、説明する場が少なかったこと、「公共」のメディアによる討論が見られず、そして、私が注目し続けてきた候補者として「福祉」「障がい者政策」は、各候補に何も語られなかったままであった。
選挙は国民に与えられる権利であり、個人の決定は誰の意見にも左右されることなく、自分の選択を投票に反映できるように、誰もが権利行使できるように努めなければならない。
投票所では投票行動において「障害」がある場合は、選挙管理委員会の管理の下で投票権行使の支援をすることになっている。各自治体で厳密に実施されている選挙において、候補者は、どんな人でもわかるように公約を分かりやすくまとめ、提示する責務もあると私は理解している。
だから、今回、その公約にほぼ「障がい者」との文言が見られなかったこと、そして候補者どうしや質問に受ける形でも、直接に公共メディアを通じて声が届けられなかった点で、選挙という社会行為としては欠陥だったと指摘したい。つまり、福祉サービスが必要な人が自分たちの生活に関する情報を得られないまま、投票しなければいけない状態になったのだ。
実はこの傾向は前回の東京都知事選挙でもあった。その前の2016年7月に行われた小池百合子候補の初陣では、本コラムで「やっぱり都知事選でも『語れない』、障がい者政策」を書いた。当時は待機児童問題が焦点化された時期で、障がい者よりも児童、の雰囲気。その中で私はこう書いた。
「障がい者問題は『メジャー』にならない。障がい者が社会を生きるのは、それ自体が壮絶な戦いであり、顕在化した問題なのに、である。それをいいことに、選挙でも対策を掲げることをしない、という悲しい循環が繰り返されている」
そして、当時の主要候補3人の「障がい者政策」に関する公約に注目した。
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当時の小池氏はこう訴えていた。「『女性も、男性も、子どもも、シニアも、障がい者もいきいき生活できる、活躍できる都市・東京』」との見出しで、障がい者を前に出してはいるが、具体的には『高齢者・障がい者の働く場所を創出。ソーシャルファームの推進』。今に続く産業政策の枠組みで福祉を語る姿勢だった。
今回、小池氏がこれまでの実績をアピールし、そして「バージョンアップ」を目指す考えですべてを包含するような印象で選挙戦を戦っていた。確かに理想を言えば、「障がい」との言葉がなくなり、ダイバーシティとインク─ジョンの推進の中で、障がいのある人が豊かに暮らせればよい。
大きな目標しては間違ってはいないが、当事者にとってはまだ道半ばである。私も都内で福祉事業を運営していることで、東京都が打ち出している独自の施策はよいものがあるし、これを「アップデイト」するのは必須だ。だからこそ、公約でこれまでの実績を提示し、候補自らが説明し、そして議論する場がほしかった。
そうすることで、障がい者の問題、福祉の政策は、より社会の問題として、社会全体で捉えることができるはずだった。そのベースとして、当事者が何を考えているかを聞く機会にもなる。バージョンアップの中で当事者視線を現実的な施策に反映させる手段を今後も考えていきたい。
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