報道やスポーツジャーナリズムの現場を席巻して久しい日本製のカメラ。今や他国の追随を許さぬ技術力を誇っていますが、我が国において一般大衆にカメラが広がったきっかけをご存知の方はそう多くないと思われます。今回の『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ」』では時代小説の名手として知られる作家の早見俊さんが、なぜ日露戦争の終結後にカメラを購入する国民が増えたのか、その裏事情を紹介しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:写真の進歩とヌード
写真の進歩とヌード
坂本龍馬、高杉晋作、木戸孝允、幕末のヒーローに何となく親しみを抱くのは、彼らの肖像写真が残っているからではないでしょうか。
日本最初のカメラはペリー来航の5年前、嘉永元(1848)年に伝来し、長崎の蘭学者上野俊之丞によって薩摩藩に納められました。その後、写真技術は急速に普及し、文久2(1862)年には上野俊之丞の息子彦馬が長崎に日本最初の写真館を建てます。
彦馬の写真館で龍馬や高杉、木戸、更には若き日の伊藤博文が写真撮影をしています。彦馬の写真館では有名人の写影と共に女性のヌードも撮影されました。長崎の遊郭丸山の遊女がモデルになったのです。
彦馬の写真館ばかりか、写真技術の普及と共に全国でヌード写真が撮影されています。今でこそヘアヌード写真は珍しくはありませんが、昭和の頃、ヘアは厳禁でした。
ところが、幕末から明治初年、そんな規制はありませんでしたから、ヘア丸出しの大胆なヌード写真が多数残っています。もっとも、春画のように男女の性器までが映されなかったのは、絵ではない写真のリアルさゆえのことでしょう。
明治も10年を過ぎると日本各地に写真館ができ、客の要望でヌード写真が撮影されるようになりました。民間ばかりか軍部もヌード写真を活用しました。
日露戦争の際に芸者のヌード写真が慰問品として戦場で配られたのです。そして、軍部の慰問に便乗して儲けようと、慰問品よりもどぎついヌード写真を戦場で売る者たちも現れたため、戦場にヌード写真が氾濫しました。さすがに野放しにはできないと、日露戦争終結後に警視庁が取締に当たっています。
ところが、戦地でヌード写真に魅了された兵士たちの中には自分でも撮影してみたいとカメラを購入し、撮影を始める者が続出したため、明治後期から大正時代の日本はヌード写真の一大ブームが訪れました。
これによってカメラも一般大衆に広まっていったのです。ビデオレコーダーにおいてもVHSがベータを凌駕したのは、VHSの方が、アダルト作品が充実していたからという説があります。女性の裸体は男には憧れであり、元気の源であり続けていますね。
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